2025年3月4日(火)

午前中は雲って寒い。午後は雪かもしれない。

  公園には梅の木八本に白き花蓬けたりけり八本すべて

  公園に梅を見上げるわれならむ老いぼれていつまでも白き花みる

  蓬けたる白梅の香に溺れたし放恣なり淫靡なり惑溺したり

『論語』衞靈公三九 孔子曰く、「教へて類まし。」

教育による違いはあるが、生まれつきの類別はない。だれでも教育によって立派になる。

そうだといいのだが。

  孔子先生いささか楽観的に思はるる生まれつきの類別おこなはれたり

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七六 イザホワケノ命(履中天皇)

天皇はもと難波の宮に坐したのであるが、大嘗祭の酒宴に、たいへん酔ったようで、前後も知らず熟睡していた。この時、弟スミノエノナカツ王が、天皇を弑し奉ろうとして、皇居に火をつけた。

倭漢(やまとのあやの)(あたえ)の祖先に当たる(あ)(ち)(のあたえ)は、ひそかに天皇を連れだし、馬に乗せて大和に非難した。丹比(たじひ)(ぬ)に至ってはじめて、天皇は目ざめ、「ここはどこじゃ」と言った。「スミノエノナカツ王が、皇居に火をつけたのでございます。それで今、わたしめが陛下を連れ出し、大和へ逃げて行く途中です」と言った。天皇はそこで詠んだ。その歌は、
丹比(たじひ)(ぬ)に 寝むと知りせば      丹比野に 寝ると思えば
防薦(たつごも)も 持ちて来ましもの      薦屏風 持ち来るものを
寝むと知りせば           野に伏して 風の強さよ

  阿知の直に救ひだされしイザホワケノ命目覚むれば歌をうたひたまひき

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA