2025年3月7日(金)

ひさびさにいい天気だ。

  むすめが夜来てその祖母の部屋を整のふ紙ごみ捨てて

  重き数箇の燃やすゴミぶら提げゆく妻と吾れなり

  天気よく乾燥したるゴミの集積場ああこのときと吾は身構ふ

『論語』衞靈公四二 師冕見ゆ。階に及べり。孔子曰く、「階なり。」席に及べり。孔子曰く、「席なり。」皆坐す。孔子告げて曰く、「某は斯に在り、某は斯に在り。」師冕出づ。子帳問いて曰く、「師と言うの道か。」孔子曰く、「然り。固より師を相くるの道なり。」

楽師の冕=当時、楽師は盲人であった。だから階段とか席とか誰それ・誰それと丁寧に教える。そんな孔子の姿を見ていて、弟子の子張があれが楽師と接するときの作法でしょうかと確認した。楽師を介助するときの作法がこれである。

  楽師の冕、盲目なれば階段、席、観客などを丁寧に教ふべし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七九 キナシカルノ太子

天皇崩御の後、キナシノカルノ太子(允恭天皇の皇子)が皇位につくことに決していたのに、まだ即位に至らぬうちに、その同母(いろ)(も)のカルノ大郎女と通じて、歌をよんだ、
足引きの 山田を作り      山田作れば高いゆえ
山高み 下樋(したひ)(わし)せ       下樋渡して水をやる
下娉(したど)ひに わが娉ふ(いも)を     その下樋行く水の様に 隠れ通うたわが妻を
下泣きに わが泣く妻を     忍んで泣いたわが妻を
今日(こぞ)こそは 安く肌触(はだふ)れ     今日こそ肌に触れて抱く

これは「志良宜歌」である。

  あしびきの山田に通す下樋のようなるわが妻忍びたるかな

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA