2025年4月10日(木)

曇りだけど、気温は上がっているようだ。

  走る走る孫の(を)の子がひた走るその姿老いには少し重たし

  孫が走る映像を見てよろこべるわが妻の声ただ笑ひをり

  走り蝶追ふ男の子なり下総の春によろこびをらむ

『論語』陽貨二〇 孺悲(じゆひ)(哀公の命をうえて、孔子から士の喪礼を学んだとある魯の人物)、孔子に(まみ)えんと欲す。孔子辞するに(やまい)を以てす。(めい)(おこな)ふ者、戸を(い)ず。(しつ)を取りて歌い、これをして聞かしむ。

仮病だと知らせて孺悲の反省をうながした。

  禱悲なる者孔子に会はんと来たりしが疾と偽り瑟を聞かしむ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 百一一 顕宗天皇

そのうちに、ある日、置目老媼は参上して、「わたくしは、いたく年をとっておりますので、」おいとまをいただきまして、故郷に下がろうとぞんじます。」と申し上げた。そこで、言うままにお下げになる時、天皇はお見送りになって、
歌い給うには、
置目もや (あふ)(み)の置目        近江の置目よ さようなら
明日よりは み山(がく)りて     これで別れてしまったら 明日から山に隔てられ
見えずかもあらむ          そなたの姿も見られぬか

  淡海の置目老媼明日からは山を隔てて見るもかなはず

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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