朝から雨だ。夕方まで降るらしい。あとは曇り。
春の風を思い出しつつ
木蓮の純白の花散り果てつ花びら汚れ樹下に散らばる
花散れば花はさっそく穢れをり一枚拾ひたしかめてゐる
この花は江戸の女郎ごときにてたちまち汚れなまいき申す
『論語』微子七 子路従ひて後れたり。丈人の杖を以て蓧を荷なふに遇ふ。子路問ひて曰く、「子、夫子を見るか。」丈人の曰く、「四体勤めず、五穀分たず、孰をか夫子と為さん。」其の杖を植てて芸る。子路拱して立つ。子路を止めて宿せしめ、鶏を殺し黍を為りてこれに食らはしめ、其の二子を見えしむ。明日、子路行きて以て告す。孔子曰く、「隠者なり。」子路をして反りてこれを見しむ。至れば則ち行る。子路曰く、「仕えざれば義なし。長幼の節は廃すべからざるなり。君臣の義はこれを如何ぞ其れ廃すべけんや。其の身を潔くせんと欲して大倫を乱る。君子の仕ふるや、其の義を行なはんとなり。道の行なはざるや、已にこれを知れり。
子路が言ふ丈人の世話になりながらその勝手な行なひ許しがたし
前川佐美雄『秀歌十二月』二月 作者不詳
はなはだも降らぬ雪ゆゑこちたくも天つみ空は陰らひにつつ (万葉集巻十・二三二二)
「冬の雑歌」の「雪を詠む」九首中の第七番目の歌。よみ人知らずの類とはいえ稀に見る秀歌だ。(略)それに「はなはだも」の語の使い方がなじみうすく縁遠く思われるものだから、えてして見過ごされてしまいやすい。このつかい方をした歌は万葉では他に次の二首があるきり。
はなはだも降らぬ雨ゆゑ行潦いたくな行きそ人の知るべく (同巻七・一三七〇)
はなはだも夜深けてな行き道の辺の五百小竹が上に霜の降る夜を (同巻十・二三三六)
前のは譬喩歌で平凡だが、後のは冬の相聞歌で、これはなかなかの秀作だ。(略)
それは案外に近代的だ。三句「こちたくも」はぎっしり雲のつまっている状態であるにはしても、また人のうわさなどする時の「言痛くも」の思いもひそんでいる。降るだけ降ったならば天候に支配され、その重圧に堪えかねている怨みとも諦めともつかぬ複雑な心情をめだたぬ独語体の、ゆるき調べのしずかな口付きで歌いあげているだけに、いっそう思いが深い。この歌を大いに推奨したい。なお結句「曇りあひつつ」と訓むのもあるが、私は「陰らひにつつ」の古調をよしとする。