2025年4月28日(月)

今日も曇り、夕刻には雨になるらしい。

  妙ちきりんな影のかたちはわが(み)なり蹌踉と歩けばひょろひょろとゆく

  わが影の少し薄くて生きの(み)をあらはにさらす地獄のやうな

  双つの影がわたしの(み)をば分断す二つに分かれせんすべあらず

『論語』子張第十九 一 子張曰く、「士は危ふき見ては命を致し、得るを見ては義を思ひ、祭りには敬を思ひ、喪には哀を思ふ。其れ可ならんのみ。」

子帳がいった、「士人は危険を見れば命を投げ出し、利得を見れば道義を考え、祭りには敬うことを思い、喪には悲しみを思う、まあそれで宜しかろう。

  子帳曰く士人は危ふきに命を出すまあまあそれで宜しからふ

前川佐美雄『秀歌十二月』 二月 大伴旅人

(いも)として二人作りし吾が(し)(ま)は小高く繁くなりにけるかも (万葉集巻三・四五二)

「故郷の家に還り入りて、則ち作れる」という詞書のある三首中二つ目のうた。(略)しかし帰っても妻はいない。筑紫でなくした妻を思うと断腸の思いがしたのだろう。(略)妻といっしょに作った庭の、わずかな年月うちにこんなにも木が高く茂ったというだけのこの歌は、情景そのままを叙したにすぎない。しかし明快にして豁達、豊かな調べの、また柄の大きい歌であって、いっそうあわれ深さを感じさせる。

この「なりけるかも」は、同じ旅人の吉野の歌、

昔見し象の小河を今見ればいよよ清けくなりにけるかも (同巻三・三一六)

とまったく同じ。そうして人麿の歌のそれとも同じだが、人麿の歌よりは旅人の方が品が高い。また同じ挽歌にしても、旅人の方がその悲しみは大きくかち切実である。旅人個人の悲しみの中に、家門や時代の苦しみを背負っている。     帰京してたった一年、翌天平三年七月、年六十七歳で没した。国初以来きっての名門、軍を率い軍部の長として代々国家に奉仕して来た大伴氏は、事実上旅人で終わるのである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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