朝から晴れている。昭和天皇の誕生日である。「昭和の日」、忘れてはならない。
木村晋介『サリン それぞれの証し』を読む。麻原彰晃を先頭にしたオウム真理教が起こした残虐なテロ行為を読み解こうとして証言を集め、さまざまに検証しようとした一書。全編有意なものだが、解決できぬオウムの「神秘体験」の項に大きな刺戟を受けた。麻原彰晃は、私より一歳上、ほぼ同世代なのだ、あそこまで無謀になることにどこか責任があるような気がして、まだ死刑にしないでいたらと思わずにはいられない。オウムに関しては、後継団体もあり、まだまだ明らかにすることがある。私にはできそうもないが、後の世代にお願いしたいことの一つだ。
大山の植栽きれいに分かれたりす枯れし枝葉、常盤の樹々と
崖あれば下には枯れし木々の群れ常盤の木々は崖上に立つ
山に登り冬木の間より空を見るかるがるとその青さに浮かぶ
『論語』子帳二 子帳曰く、「徳を執ること弘からず、道を信ずること篤からずんば、焉んぞ能く有りと為さん、焉んぞ能く亡しと為さん。」
「徳を守っても大きくはなく、道を信じても固くはない。それでは居るというほどのこともなく、居ないというほどのこともない。居ても居なくてもおなじだ。」
居ても居なくてもかはらずに居ても居なくてもどうといふなし
前川佐美雄『秀歌十二月』二月 尾上柴舟
つけ捨てし野火の烟のあかあかと見えゆく頃ぞ山は悲しき (歌集・日記の端より)
「初春枯草を焼く為に火を点ける。其烟が昼の間は山の一部を包んで匍匐してゐるが、日が暮れて段々夜になるに従ひ明るく空の色を焦がして実に綺麗だ。だが旅中にある身にはなんとなくうら悲しさを誘はるる様に感じられる。殊にこの野火の明るく見え初むる頃夜陰に立つ一山の風光が傷ましく見え、肌寒い風などがすこし吹き立つ時など実際淋しい感じがする。」(略)国語の教科書にもよく出ているが、私は疑問をもつ。
紫舟より十歳年下の生年吉井勇はそのころ湘南鎌倉にあって、
伊豆も見ゆ伊豆の山火も稀に見ゆ伊豆はも恋し我妹子のごと
と、放蕩無頼をなげきながら、海にかなた遥かに伊豆の山火を見ては、またせつない胸を燃やしていた。その伊豆の山火を伊豆旅行中の紫舟が見た。たまたまそれを伊東のへん、天城山の近くで見て詠んだのがこの歌で(冒頭につづく)