快晴、あったかいようだ。
岡本綺堂『旅情夢譚』を読む。どの話も、どこか不思議で、百物語を思わせ興味深いのだが、いささか無気味度が薄いかな。でも、おもしろかった。
少し前のことだが、
真みなみに薄き半円の残り月われまだこの世に未練ありにき
少しづつ動く半円の残り月はかなきものはあの世のものか
これの世の行く末いかに。この頃は滅びの後も戦乱の果て
『論語』陽貨一九 孔子曰く、「予れ言ふこと無からんと欲す。」子貢が曰く、「子如し言はずんば、則ち小子何をか述べん。孔子曰く、「天何をか言ふや。四時、行なはれ、百物、生ず。天何をか言ふや。」
孔子先生は、もう何も言うまいと思うと言った。子貢が「先生が何も言わなけれ、門人に何を受けつたえましょうか。どうかお話をして下さい」というと、先生は言われた、「天は何か言うだろうか。四季はめぐっているし、万物も生長している。天は何か言うだろうか。何も言わなくとも、教えはある。ことばだけを頼りにしてはいけない。
われ言ふこと無し季節はめぐり万物生長すあえて天にはことばあらず
『古事記歌謡』蓮田善明訳 百一〇 ヲケノイハスワケノ命
その老婆の住む家を、皇居の近くに作り、毎日必ずお召し寄せになるのであったが、それには、御殿の戸に大鈴をかけて、老婆をお召しになりたい折りは、その大鈴を引き鳴らすということを定めてあった。それによって歌がある。
浅茅原 小谷を過ぎて 浅茅の原や谷過ぎて
百伝ふ 鐸ゆらぐも はるばる伝うて鈴が鳴る
置目来らしも 置目がどうやら来たようだ
大鈴が鳴れば宮近き住まいより置目老婆ここに来らしも