夜雨が降っていたようだが、今は晴れている。
男でもなく、ましてや女でもない老耄もいまだに苦しむおのれの性に
もうすでに男の殻は脱がされて老耄といふ存在なるかも
ぢぢいもばばあも同じなりもてあますものが減りつつあるか
『論語』子張二五 陳子禽、子貢に謂ひて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼、豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て不知と為し、言は慎しまざるべからざるなり。夫子の及ぶべからざるや、猶ほ天の階して升るべからざるごときなり。夫子にして邦家を得るならば、所謂これを立つれば斯に立ち、これを道びけば斯に行い、これに綏んずれば斯に来たり、これを動かせば斯に和す、其の死するや哀しむ。これ如何ぞ其れ及ぶべけんや。」
孔子より子貢が賢るといふものよ天に階してのぼるべからず
前川佐美雄『秀歌十二月』四月 在原業平
白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消なましものを (伊勢物語)
業平の恋愛の対象として選ばれた多くの女の中に藤原長良の女高子がいる。後に入内して清和帝の後宮となるが、この高子と恋に落ちると二人はしめしあわせた。逃げることだったのだ。そこである夜業平は女を盗み出し、女を背負いながら春日野へんまで走り出た。その途中、草の上に置いた露を見て女がたずねた。「あの白い玉は何ですか」と。しかし男はまだ行く先が遠かった。それに夜もふけていることでもあり、それには何とも返事をせずに道を急いだ。けれど女の兄たちにその隠れ家は見出され、女は取り返された。そうして業平は罰せられ、東国の旅に出なければならなかった。それを悲しんで詠んだのがこの歌だと伝えられている。
(略)けれど「露とこたへて」と即座にいうのがやはり王朝時代の心だ。「消なましものを」は、ものやさしく、そうしてものはかなさそうな、今にも消えるかと思うほどのたえだえの息づかいさえも思わせる。(略)その「伊勢物語」は「竹取物語」と併称せられる平安朝初期仮名文小説のさきがけでもあり、また歌人としてもりっぱだった。貫之は古今集の序の中で業平の歌をあげつろうてはいるけれど、何としても特色ある随一の歌人で、よく比肩するものがない。