2025年5月23日(金)

明るいけれど曇り。太陽は雲のかなたにぼやけている。

  吾れが入る前にトイレに行くもののすっぱいやうなる臭ひを残す

  この臭ひは妻のものなり鼻つまみしばしがまんしわが糞を(ひ)

  雲古、うんこ、ウンコいつもねばりて(ひ)るもののけさは一気に排泄したり

『論語』堯曰(ぎょうえつ)第二十 一 堯曰く、「(ああ)(なんじ)舜、天の歴数、爾の(み)に在り。(まこと)に其の中を執れ。四海困窮。(てん)(ろく)永く終へん。舜も亦た以て禹に命ず。

(とう)曰く、予れ小子(しょうし)(り)、敢て(げん)(ぽ)を用て、敢て昭かに(こう)皇后(こうこう)(てい)に告す。罪あるは敢て赦さず、帝臣(かく)さず、(えら)ぶこと帝の心に在り。(わ)が躬罪あらば、万方を以てすること無けむ。万方罪あらば、罪は朕が躬にあらん。

周に大賚(たいらい)あり、善人是れ富む。周(しん)ありと雖ども仁人に如かず。百姓(ひゃくせい)過ち有らば予れ一人に在らん。

堯・舜・禹と帝位が譲られた(禅譲)、禹は夏王朝を開いて子孫に伝え、桀に至って殷の湯に攻め滅ぼされる(放伐)。この章は、尭から周の武王まで、古代の聖天子のことばを集めたもの。

  堯・舜・禹と禅譲されて桀に至り湯に滅ぼさるる中国古代史

前川佐美雄『秀歌十二月』四月 尾張連

うちなびく(はる)(きた)るらし山の(ま)の遠き(こ)(ぬれ)の咲き行く見れば (万葉集巻八・一四二二)

尾張連とあるだけで名も伝も不詳。「うちなびく」は「春」にかかる枕詞。春になって草木がやわらかに萌えいでる。そこからきた修飾語であるらしい。「うちなびき」をよしとする人もあるが、それでは調べが俗になる。やはり「うちなびく」の方がよいし、枕詞としてもおちつく。いよいよ春がきたらしい。みあげる山の木々が花咲いてゆく。きのうよりきょうはさらに遠い峰の奥まで咲いたのがみえるというので、山の低いところから咲きはじめた花が、次第に高いところへ咲き移ってゆく時間的経過をあらわしている。この「遠き木末の咲き行く」がじつに自然な表現で、たとえようもなくよい語だ。そして「咲き行く見れば」の結句に作者の思いが集中している。(略)万葉集にサクラの歌は四十首あまりだ。(略)なおこの歌は巻十に第二句が次のようにあらためられてはいっている。作者は不詳、万葉集末期の口調を感じる。

うちなびく春さり来らし山の際の遠き木末の咲き行く見れば (同巻十・一八六五)

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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