朝は雨、やがて曇りに。
死神は背後よりきて強引にわがたましひを抜きとらむとす
いつのまにか死神に吾こそ魅入られて拉致さるるあの世へ
死神に両腕とられ連れられて炎熱地獄へ抛りこまれる
『論語』堯曰三 寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民を任じ、敏れば則ち攻あり、公なれば則ち説ぶ。
君主の資格かな。寛・信・敏・公ということか。
寛なれば人望、信なれば人民、敏なれば仕事、公なれば悦ぶ
前川佐美雄『秀歌十二月』四月 若山牧水
うす紅に葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花 (歌集・山桜の歌)
この「山桜花」は、山に咲いているサクラ花にはちがいないが、なお「山桜」なる種類をさしての「山桜花」で、「うす紅に葉はいちはやく萌えいでて」によって、それがわかる。ヤマザクラはうす紅の若葉がまずひらいて、それから花が咲きだすからだ。それは昨今はやりのソメイヨシノなどとはまったく違う淡泊な感じのサクラだが、その特徴がよくとらえられている。(略)自然のなかに同化しているかのごとくおのずからにしてそれが調べに出ているのである。欲や得がないのである。だから歌はむこうからひらりと飛びきたって牧水の手中にはいる。自然詩人牧水の面目躍如たりというべきか。こうした牧水の歌はわかりやすいのが特徴である。調べもよいからよく朗詠されたりして大衆にも親しまれる。(略)いきいきとした生命力が美しいリズムとなって一首を貫流していて、透徹した詩魂の高さが感じられる。牧水歌風の完成期における傑作のひとつである。しかしこの歌よりは同じ連作のなかの次の歌の方をよしとする人もあるだろう。
瀬々走るやまめうぐひのうろくづの美しき春の山ざくら花 (同)
(略)この歌は前の歌とはまた違う感覚的な美しい歌として称揚されるのである。どちらを好むかはその人によるが、なお前の歌のすなおにしておのずからなる、そのやさしくて美しき歌柄をこそよしとするのである。これは大正十一年春、伊豆湯ヶ島温泉における連作二十余首中にあり、歌集の名もこれらの歌から来ていた……