明るい曇りだ。雲が薄い。
河原鶸二羽近寄りて鳴きにけり常に近くを飛び、歩く二羽
どんよりとした曇り空はしゃげども心のらずにゆき過ぎにけり
少しばかり明るさ覗く空合にみどり濃き森迫り来るなり
みどり色の何色あれば山肌の木々を画けるか微妙な色合ひ
『論語』堯曰四 子張、孔子に問ひて曰く、「如何なれば斯れ以て政に従ふべき。」子の曰く、「五美を尊び四悪を屏組ぞければ、斯れ以て政に従ふべし。」子張が曰く、「何をか五美と謂ふ。」子曰く、「君子、恵して費へず、労して怨みず、欲して貧らず、泰にして驕らず、威にして猛からず。」子張が曰く、「何をか恵して費へずと謂ふ。」子曰く、「民の利とする所に因りてこれを利す、斯れ亦た恵して費へざるにあらずや。其の労すべきを択んでこれに労す、又誰をか怨みん。仁を欲して仁を得たり、又焉をか貧らん。君子は衆寡と無く、小大と無く、敢て慢ること無し、斯れ亦泰にして驕らざるにあらずや。君子は其の衣冠を正しくし、其の瞻視を尊くして、儼然たり、人望みてこれを畏る、斯れ亦威にして猛からざるにあらずや。」子張曰く、「何をか四悪と謂ふ。」子の曰く、「教えずして殺す、これを虐と謂ふ。戒めずして成るを視る、これを暴と謂ふ。令を慢くして期を致す、これを賊と謂ふ。猶しく人に与ふるに出内の吝なる、これを有司と謂ふ。
孔子が子張に謂ひにける君子とは五美を尊び四悪をしりぞく
前川佐美雄『秀歌十二月』四月 若山喜志子
家には君かへるでのもみぢばの双手をあげて子らは待ちつつ (歌集・筑摩野)
喜志子は牧水の妻だが、牧水は一年の大半は旅に出ていた。旅と酒の歌人といわれたほどの牧水である。その牧水は早稲田大学時代は制服も着たらしいが、その後はいっさい洋服というものを着ず、和服を着てどこへも気楽に出かけていった。その行く先も時にはわからないことさえあった。そういう牧水の家に帰ってくる日をまちわびている歌だ。(略)牧水の歌風に似てすなおな歌で、この歌といっしょに発表された、
その泊り今宵は毛野か信濃路かここの駿河は時雨降りつつ (同)
とともに私は時評でほめたことがある。大正十三年ごろのことだが、牧水一家は大正九年から東京を離れて沼津の千本浜に家を建てて住んでいたのである。