憲法記念日。天気はいいようだ。
憲法記念日を嘉するべきか唾棄すべきかわれまだ惑ひ決しがたし
天皇の章、また人権の章などは直すべしされど九条手を入れがたし
九条を壊してはいけない自衛隊を加へることもわれ堪へがたし
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それぞれの階の扉を押しあけて媼翁が顔を出したり
春なれば媼も外へ這ひだして喜びのこゑか不気味なる声
つつじの大ぶりの花があちらこちらマンションの四囲に囲めるやうに
『論語』子帳六 子夏曰く、「博く学びて篤く志し、切に問ひて近く思ふ、仁其の中に在り。」
広く学んで志望を固くし、迫った質問をして身近に考えるなら、仁の徳はそこにおのずから育つものだ。
博く学び篤く志し切に問ふさすれば仁徳そこにあるべし
前川佐美雄『秀歌十二月』二月 野中川原史満
山川に鴛鴦二つ居て副ひよく副へる妹を誰か率にけむ (日本書紀・一二三)
「山川」は山の中の川、よつて「ヤマガハ」とにごる。「副ひよく」は「副ひ」がよい。いっしょにいるのがよいというほどの意で、「副へる妹」はそのように仲のよい妻ということになる。山の流れに遊んでいるオシドリのつがいのように、仲のよい美しい妻をたれが連れ去ってしまったのか、これは妻の死を嘆く挽歌なのである。
大化五年三月、中大兄皇子(のちの天智天皇)は蘇我倉山田大臣を討滅せられた。
その時、倉山田麿の娘で、皇子の妃であった蘇我造媛は父の最期を悲しむあまり、みずから死をえらんだ。皇子と媛との夫婦仲はよかっただけに、皇子の悲しみはひととおりではなかった。その皇子のみ心をうちをおしはかって、史麿の作った歌だと伝えられる。つまり代作である。代作でも代作らしい感じの少しもしない情のこもった歌で、オシドリの浮かぶ山川の景を配して、叙情と叙景との融合に成功し、よく短歌化しえているのは、作者がただものではない証拠だ。