よい天気だ。連休中
『昭和の名短編 戦前篇』荒川洋治編。昭和前期の短編小説十三篇があつめられている。どれもおもしろいものだから、またたくまに読み終えてしまった。書きたいことはいくらもあるが、今は胸の内にたいせつにその読後感のいろいろを温めておきたい。ひとつだけ書いておけば、最後の織田作之助「木の都」の「口縄坂」であろうか。「つまり第二の青春の町であった京都の吉田が第一の青春の町へ移って来て重なり合ったことになるわけだと、この二重写しで写された遠いかずかずの青春にいま濡れる想いで、雨の口縄坂を降りて行った。」しかしその坂を降りることはもうない。
蒼古たる風合のあるけやき樹の葉の繁り天を覆ふがに広く
人が来て燥ぐときあり仏壇に蠟燭灯ししづけさ破り
遠く見る小田急線のすれ違ふ上り各駅下り急行
仏壇は父の存念で神棚にわが家いつから神州清潔の民
『論語』子帳七 子夏曰く、「百工、肆に居て以て其の事を成す。君子、学びて以て其の道を致す。」
子夏がいふ職人は肆にいて仕事なす君子こそ学びてその道をきはめん
前川佐美雄『秀歌十二月』 野中川原史麿
幹ごとに花は咲けども何とかも愛し妹が復咲き出こぬ (同・一一四)
これはその二首目の歌だが、前の歌の下には「其二」と記載されてある。つまり二首連作で、二歌は分離すべきではないことをあらわしている。初句「幹ごとに」は 木が略されている。木の幹ごとにということであり、四句の「愛し妹が」の「愛し」はかわいい、愛らしいとnorinいう形容詞。(略)木の幹ごとに花は咲いているが、どうしてあのかわいい妻がもう一度かえってきてくれないのだろうか、と花咲く木をみて悲しみ訴えている。この「幹ごとに花は咲けども」は三句以下の序詞になっているけれど、結句の「復咲き出こぬ」とともにじつに素朴な口つきの語である。とつとつとして稚拙かと思うほどだが、その「愛し妹」の美しさを何とものやわらかく、ういういしくいいえたものかなと、その感じ方、そのいいあらわしように私はかぶとをぬぐのだ。みごとな客観描写である。小手先でなく、全身で感じとっている。よごれなき心だけが感じとることのできる真実がみられる。叙情詩としての本格的なもので、人麿に先行している。むろんこれと同時代ごろの歌は万葉集にも少しはいれられてあるが、それらの秀歌にくらべて遜色はみない。歌は古い時代のものの方がよい。