今日も天気よし。端午の節供だ。
けふこそは五日のあやめに過したしこの何年かは六日のあやめ
季節に遅れず湯を彩れるあやめ草するどき匂ひ吸ひ込み吸ひ込む
あやめ草の香りする湯に深く沈むわれまたあやめのするどき匂ひ
『論語』子張八 子夏曰く、「小人の過つや、必ず文る。」
子夏がいふ小人はあやまつときは必ず飾る
前川佐美雄『秀歌十二月』三月 狭野茅上娘子
君が行く道の長路を繰り畳ね焼き亡ぼさむ天の火もがも (万葉集巻十五・三七二四)
巻十五の終わり三分の一は「宅守相聞」といわれる贈答歌が占める。その目録の詞書には、「中臣朝臣宅守の、蔵部の女嬬狭野茅上娘子を娶きし時に、勅して流罪に断じて、越前国に配しき。ここに夫婦の別れ易く会ひ難きを相歎き、各々慟む情を陳べて贈答する歌六十三首」とあり、男四十首、女二十三首を載せている。(略)
くわしいことはわからない。
この歌は宅守が越前に流されてゆくに際して娘子の詠んだ歌の第二首目である。一首目は、
あしびきの山路越えむとする君を心に持ちて安けくもなし (同・三七二三)
と、その大和から近江を経て、山越えに北国へ行く宅守の身を心配している。「君を心に持ちて」など、可憐な女心をよく歌い、まかなかの佳作だけれど、やや独立性を欠くようだ。全体の序歌みたいな役を負い、なお詞書に支えらえているとみられる。
それよりもやはり一般的に人気のあるのは二首目の歌だ。「あなたのお行きになる遠い長い道を手繰りたたんで焼き亡ぼしてしまう天火があればよい」というので、「そうしたらあなたを引き戻せるだろう」の意をそれとなく裏にひそめている。「畳ねは「たたみ」で「たたむ」こと。「天の火」は文字通り「天火」。(略)天の火は原始人でさえいちばん恐れた火であるから、その恐ろしい火をいうのはこの場合ごく自然なのだ。(略)この歌の底には怒りがこもっている。どうにもならないという怒り、それが爆発したのではなく、それを文学的に比喩の形を借りてこのように処理したので、どことなく理知的な感じがする。「焼き亡ぼさむ天の火もがも」などはじつによい句で、万葉集女流歌人のなかでやはりきわだってすぐれた歌である。