晴れだ。連休もきのうで終わりだ。
飲みはじめはたださらさらと半ばにはまだまだ行けるそしてへべれけ
へべれけになればいつでもおもはざることに出っくはすとりかへしつかぬ
飲めずなりて一杯二杯で酔うたれば情けなしやまいを老いを憎む
『論語』夏張一〇 子夏曰く、「君子、信ぜられて而して後に其の民を労す。未だ信ぜられざれば則ち以て己を厲ましむと為す。信ぜられて而して後に諫む。未だ信ぜられざれば則ち以て己を謗ると為す。
君子は人民に信用されてからはじめてその人民を使う、まだ信用さないのに使うと人民は自分たちを苦しめると思うものだ。また主君に信用されてからはじめて諫める、まだ信用されないのに諫めると主君は自分のことを悪く言うと思うものだ。
信用ができなければ人民も主君もなべて仕へはしない
前川佐美雄『秀歌十二月』三月 窪田空穂
鉦鳴らし信濃の国を行きゆかばありしながらの母見るらむか (まひる野)
明治三十八年刊行の処女歌集『まひる野』に出ている。死別した母を思い出の形で歌った「母の死ねる頃を思ひて」と題する連作六首中の一首で、当時ひろく愛誦されていた歌である。(略)この「鉦鳴らし」はむろん巡礼の鉦である。巡礼になって信濃の国をたずね歩いたならば、生前の母にまみえることができるかもしれぬと、ひとすじになき母を追慕する。その感情は清純で、若々しい気分にみちみちている。(略)いうならば自分のかわりに歌ってくれたような気がする。この歌はそういうよき意味の大衆性を持っている。同じ連作中の、
生きてわれ聴かむ響かみ棺を深くをさめて土落とす時
われや母のまな子なりしと思ふにぞ倦みし生命も甦り来る
などはややおもむきを異にしてリアリズムの精神が感じられ、後の空穂歌風の根源を思いしのばせるが、「鉦鳴らし」の歌はなおロマンチシズムが濃厚で、新詩社「明星」の作風とやや共通するところがある。(略)新詩社中の詠み手とうたわれたが、一年ほどで退社している。(略)それから次第に空穂独自の歌風がはじまる。
雲よむかし初めてここの野に立ちて草刈り人にかくも照りしか
これは『まひる野』の中でもいちばん美しい歌だ(略)翌年、水野葉舟と合著で刊行した第二歌集『明暗』には次のような秀歌がある。
我が涙そそぎし家に知らぬ人住みてさざめく春の夜来れば
都会生活者として、借家を移り変りしていたのだろう。思い深い歌で、初期の空穂の歌のなかではこれを第一番とする。人生のすがた、その真実感、人間生活の悲しみがしみじみと嘆くがごとく胸にしみこんでくる。このころから空穂の歌はだんだん自然主義文学の方向をたどり人生派風になってゆく。