2025年6月1日(日)

明るい。雨ではない、曇りつづき。しかし明るい空だ。

鎌田東二さんが5月30日午後6時15分、盲腸がんのため京都市の自宅でなくなった。74歳。

最初の出会いは、あまり楽しいものではなかったが、すべての根源をエロスと言い切ったことには驚いた。おもしろい人だった。著書はたくさんあるが、最初の二冊『神界のフィールドワーク』に驚き、『翁童論』は楽しかった。本当に惜しむべき人であり、まだまだ早い。

  惜しむべき人亡くなりて茫然とこの世にをりぬ何なすことなく

  また一人この世とあの世を繋ぐもの失せてぞいやないやな世になる

  わが周囲(めぐり)と若葉のあひだをめぐりとぶ紋白蝶のうるはしき白

  黄の花に拠りて離れて飛ぶ蝶に手をば伸ばせり愛らしきゆゑ

  紋白蝶いづくに消ゆるか郵便ポストへわづかの時に

『大学』第二章 二 詩に云ふ、「彼の(き)(くま)(み)るに、(りょく)(緑)(ちく)猗猗(いい)たり。有斐(ゆか) しき君子は、切るが如く(みが)くが如く、(う)つが如く(す)るが如し。(しつ)たり(かん)たり、(かく)たり(けん)たり。有斐(ゆか)しき君子は、(つい)(わす)るべからず」と。切るが如く(みが)くが如しとは、学ぶを(い)ふなり。(う)つが如く(す)るが如しとは、自ら脩むるなり。瑟たり僩たりとは、(じゅん) (りつ)なるなり。赫たり喧たりとは、威儀あるなり。有斐しき君子は、終に誼るべからずとは、盛徳至善んいして、民の忘るる能はざるを道ふなり。

詩に云ふ、「於戯(ああ)、前王、忘れられず。」と。君子はその賢を賢としてその親を親しみ、小人はその楽しみを楽しみてその利を利とす。(ここ)を以て世に(お)うるも忘れられざるなり。

  ゆたかなる才ある君子はいつまでも前の代の王たちもまた忘れることなく

前川佐美雄『秀歌十二月』四月 加納諸平

沖さけて浮ぶ鳥船時のまに翔りも行くかいさな見ゆらし (柿園詠草)   「沖さけて」は、沖を離れて遠くに。「鳥船」は、鳥のように早い船という意味だが、作者の造語なのではなく、古事記に「鳥之石楠船神、亦の名は天鳥船」とある、その鳥船から来ている。もともと楠で造ったじょうぶな船の意だが、鳥の語がついたのは、鳥は空でも海の上でも行くことができるからである。その鳥船の語をここにつかった。「いさな」はクジラの古名。沖遠くはるかな海上に鳥船みたいに浮かんでいた船が、見てるまに飛ぶようにところをかえて行ったよ、あれはきっとクジラの泳いでいるのが見つかったからだろう、とこれは諸平が熊野めぐりをした時の歌である。実際にそういう情景を見て作ったので、それにふさわしいことばづかいもすばしこく、かるがると歌いあげてさっぱりしている。爽やかな感じで重苦しいところは少しもない。心のもちかたがどこか近代的(略)それにしてもクジラ取りの歌だけにめずらしい。さすが紀州の歌人である。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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