今日も暑いのだ。
夕暮は人の瞳の並ぶごと病院の窓とてつもなくて
真夜中の夢に魘され声あぐるこの恐ろしさ言ふすべあらず
紅茶の色は屍体の色と同じかも匙もてかきまはすしかばねの色
『中庸』第四章 君子はその位に素して行なひ、その外を願はず。富貴に素しては富貴を行なひ、貧賤に素しては貧賤に行なひ、夷狄に素しては夷狄に行なひ、患難に素しては患難に行ふ。君は入るとして自得せざることなし。
上位の在りては下を陵がず、下位に在りては上を援かず、己を正しくして人に求めざれば、則ち怨みなし。上は天を怨みず、下は人を尤めず。故に君子は易に居りて以て命を俟ち、小人は険を行なひて以て幸を徼む。
子曰く、「射は君子に似たること有り。諸れを正鵠に失すれば、反って諸れをその身に求む」と。
君子はその位に応じて行動を択びそこから外れたことはせざりき
前川佐美雄『秀歌十二月』六月 田安宗武
真帆ひきてよせ来る舟に月照れり楽しくぞあらむその舟人は (歌集・天降言)
「帆船ひきて」の「真帆」は、順風に正しく掛けた帆のこと。「ひきて」はその帆の風をはらんでふくらんでいること。「よせ来る」はこちらの方に近づいてくることで、それが大きい帆であることを、それとなく「よせ」のうちにふくませている。これは漁船を歌ったので、一日のりょうを終った漁夫たちが、たくさんの魚を舟に摘みこんで、順風に帆かけて月夜の海を帰ってくる、さぞ愉快でであろうな、その漁夫たちは、とその舟を迎え見ているのである。きらきらと月に照る海、大きくひろげたまっ白い帆、おのずから漁夫たちのうたごえも聞こえるかと思うほどに、これは巧みに情景をとらえていて目に髣髴とする。ちょっと万葉の秀歌を見るような感じだが、この「月照れり」と三句で切った上句を受ける「楽しくぞあらむその舟人は」の下句の調べがじつによい。四、五句を置きかえてなんとなく悠揚迫らぬといった感がある。同時にその楽しそうな漁夫たちをうらやましがっているようなおもむきも感じられる。気楽な庶民生活を羨望するに似た感をうける。
宗武は、徳川八代将軍吉宗の第二子で、田安家にはいった。(略)賀茂真淵を聘するに及んで、その歌ふうが次第に万葉調に転じる。(略)真淵に就くようになっていっそう顕著になり、万葉ふうの宗武調が完成していくのである。
君がため漁せむと漕ぎ行けば万代橋の松ぞ見えぬる
鰭の狭物さはに獲られよ大君のおほ饌にあへむ今日の漁
ともに万葉調のいわゆる馬渕の「やむごとなき御前」の風格がしのばれる。朗々のひびきをもつ佳作である。