朝、少しだけ雨だった。それから曇りだ。
高村薫『墳墓記』を読む。昔からの高村ファンだけれど、驚いた。古典の時代の文章と現在が重なり、独特の日本語が展開する。万葉集と藤原定家と、現在の能楽師とが混在して死と生の世界を繰り広げる。当然、万葉以来の歌、とりわけ定家の時代の歌、源氏物語、中世の能の言葉の世界と現代の言葉が混在し、さらに生と死が混じり合い一つの世界を繰り広げる。その言葉のエネルギーに圧倒された。前作の『土の記』が、高村文学の最高峰と思っていたが、これまた日本語の深部を彷徨し興味深いのだ。
朝の雨にわづかに濡れる中庭に鵤二羽来て跳びはねるなり
毎朝のリハビリ体操は律動し雲古よく出るわたしのうんこ
毎朝に運動をする数かぞへリハビリ体操けふも済ませし
腰上げて足踏み運動、反転し腕立て伏せしてけふのリハビリ
『中庸』第六章一 子曰く、「舜は其れ大孝なるかな。徳は聖人たり、尊は天子たり、富は四海の内を有ち、宗廟これを饗け、子孫これを保つ」と。
故に大徳は必ずその位を得、必ずその禄を得、必ずその名を得、必ずその寿を得。故に天の物を生ずるは、必ずその材に因りて篤くす。故にその材に因りて篤くす。故に栽つ者はこれを培ひ、傾く者はこれを覆へす。
詩に曰く、「嘉楽の君子、憲憲たる令徳あり、民に宜しく人に宜しく、禄を天に受く。保佑してこれを命じ、天よりこれを申ぬ」と。
故に大徳は、必ず命を受く。
偉大なる徳をそなへし人なれば天命を受け天子とならむ
前川佐美雄『秀歌十二月』六月 天田愚庵
生れては死ぬことわりを示すてふ沙羅の木の花うつくしきかも (愚庵全集)
「沙羅雙樹花開」と題する三首中のはじめの歌。あとの二つは
美しき沙羅の木の花朝咲きてその夕べには散りにけるかも
朝咲きて夕べには散る沙羅の木の花のさかりを見れば悲しも
いずれも佳作で優劣はないが、なお心ふかきはじめの歌をこそよしとするのである。
生あるものはかならず滅する。わかりきったことわりを、わかりやすい言葉で歌っている。たんたんとしてこだわりがなく、苦吟したような形跡もまったくないのに、「花のさかりを見れば悲しも」と読み終わるころには白い沙羅の花が見えてくるとともに、心のうちが切なくなる。身をつまされる思いがして涙ぐましくなるのである。
明治三十一年愚庵四十五歳、京都清水産寧坂の草庵にいるころの作だ。仏門に入り、林丘寺適水禅師の得度を受けてから十二、三年ぐらいたっている。(略)愚庵が生きていたならいかがいうか知らないけれど、しかしその宗教生活の中から生まれた歌にちがいなくとも、これは愚庵晩年の作なのだ。しずかな歌ではあるけれど、数奇な運命がしのばれる。ここまで来るのには波瀾万丈の生活があった。人生の苦難を一身に負って来たかのごとくである。それを知るなら、この沙羅の歌は涙なしには読みえない。