朝から暑い、じめじめと湿気もある。
ひさしぶりに青山文平である。文庫本になった『本売る日々』、単行本の時に読んでいるのだが、実に新鮮、また佳い、熱い。店は構えているが、本を行商している松月平助。この男が魅力的だ。また江戸時代に刊行されていた『芥子園画伝』、『古事記伝』ほか国学書、そして『群書類従』、最後に医書などを紹介する。そして最後に『佐野淇一口訣集』を出版することになり、それこそ蔦屋重三郎らの仲間入りだ。
西側の舗道に遊ぶこすずめの飛びまた戻り豁達なりき
わが歩く足先に小さな虫動く逃げるように這ふ真っ黒な虫
部屋の内を老いをからかふやうに飛ぶ蛾のごときものあっちへこっちへ
玉虫の玉になりたるを拾ひ蒐めしばしは手のひらに玉をころがす
「中庸」第六章三 子曰く、「武王・周公は、其れ達孝なるかな。夫れ孝とは、善く人の志を継ぎ、善く人の事を述ぶる者なり」と。
春秋にはその祖廟を脩め、その宗器を陳ね、その裳衣を設け、その時食を薦む。宗廟の礼は、昭穆を序する所以なり。爵を序するは、貴賤を弁ずる所以なり。事を序するは、賢を弁ずる所以なり。旅酬に下の上の為にするは、賤に逮ぼす所以なり。燕毛は歯を序する所以なり。その位を践み、その礼を行ない、その楽を奏し、その尊ぶ所を敬し、その親しむ所を愛し、死に事ふること生に事ふるが如くし、亡に事ふること存に事ふるが如くするは、孝の至りなり。
郊社の礼は、上帝に事ふる所以なり。宗廟の礼は、その先を祀る所以なり。郊社の礼・禘嘗の義に明らかなれば、国を治むること其れ諸れを掌に示るが如きか。
孔子が言ふには孝行とは父祖の志をよく継ぎてその事業をよくひきつぐものなり
前川佐美雄『秀歌十二月』七月 斎宮女御
琴の音にみねの松風かよふらしいづれのをよりしらべ初めけむ (拾遺集)
「野宮に斎宮の庚申し侍りけるに松風夜琴に入るといふ題をよみ侍りける」の詞書がある。「野宮は斎宮だから嵯峨の野の宮(略)庚申は庚申待のことで、七月のかのえさるの日、今の夕四時から翌朝四時まで、帝釈と青面金剛、または三猴の象として猿田彦を祀って終夜行われた。この夜を守って眠らないため、人びとは歌を作ってつれづれごころを遊ばせた。その題が「松風夜琴に入る」というのであった。題そのものがすでに一つの詩である。至難の出題にさだめし人びとは当惑したと思われるけれど、これはまた何とさわやかなすがすがしい調べの歌のなのだろう。苦吟のおもむきはいささかもない。かき鳴らす琴の音の高まるのは、さつさつたる峰の松風が吹きかようからだという上三句を受ける第四句「いづれのをより」の「を」は、琴の「を」と峰の「を」とを掛けており、松風に人を待つの縁を持たせているなど、措辞が巧緻をきわめているだけでない。いいようもなく優しく美しく、またほのかな夢のような心のうちをにおわせる。つつましい恋ごころをほとんど絶え入るかのようにきつくそれとはなしにいい放っているなど、ことばに出して語りがたい思いを自分にいい聞かせ人にも訴えながら、さながらに放心したかのごとく、松風の音にあわせていよいよ高く琴をひいている。その琴の音が自分ひいている。その琴の音がまた人のひいている琴の音に聞こえてくる。人のひいている琴の音が自分のひいている琴のしらべにかよってきて、せつなくもまた空虚なようにも感じられるという思いをこめた、これはまことに複雑な幽艶象徴の叙情であって、同時代あまたある女流歌人の傑作中でもとくに出色の一首である。(略)後鳥羽院には認められていたようだが、一般にはそれほど知られていないわけである。品高くしずかな人柄であったようだ。
みな人のそむきはてぬる世の中にふるの社の身をいかにせむ (新古今集)