晴れ。
浄土から夕日差し来て雲透くるあかね色して暮れてゆくなり
透明感のある夕雲をわが見つつこの雲の涯て浄土なりけり
中庭をつばめ一羽が独占しまるで舞台の役者のやうに
『大学』第三章 所謂身を脩むるはその心を正すに在りとは、身に忿懥するところ有るときは、則ちその正を得ず、恐懼するところ有るときは、則ちその正を得ず、好楽するところ有るときは、則ちその正を得ず、憂患するところ有るときは、則ちその正を得ず。
心焉に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らへどもその味を知らず、此れを、身を脩むるはその心をただすに在り、と謂ふ。
おのが身を脩むるはまづその心を正すべきなりさすればかなふ
前川佐美雄『秀歌十二月』五月 持統天皇
春過ぎて夏来るらし白栲の衣ほしたり天の香久山 (万葉集巻一・二八)
「白栲」はコウゾ(楮)の皮の繊維で作った布をいうが、(略)コウゾにこだわらずともよい。夏着る衣は白いのだ。むかしも今も変わりない。その白い衣のほしてあるのを見て「夏来るらし」と推量した。推量しなくともすでに来ていることはわかっているが、なおそういう表現のしかたをするのは、この時代なりの習慣というか型みたいなものがやはりできていたのではないか。これをしも確固として動かしがたきものとせられたのは、けだし天皇の作歌力のすぐれさせたもうたゆえだろう。ここはどうしても「夏来るらし」でなければならない。一首の意は、「春が過ぎて夏が来たようだ、もう白い衣がほしてあるのが見えることよ、天の香久山のへんには」とことばどおりに受けとってよいのだ。(略)それはともかく、天皇は女性にますとはもうせ、大器量人で、深重かつ果断の大政治家であられた。この御製はそのお人柄を見るかのごとく端正端麗、言語を絶する。すでに多くの先人が称賛しているように、典型的な一首で、当時万葉集中の傑作である。よって後世多くの類型を生んだ。(略)新古今集や小倉百人一首では、次のように改悪されている……
春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふあまの香久山