今日は朝から、ずっと晴れらしい。
鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』を読む。副題は、「古代の興亡から離散、ホロコースト、シオニズム」とあるように三〇〇〇年の迫害・離散、そして流離。さらにポグロム、ホロコースト、地域をまたがるさまざまな流転の歴史。ユダヤ人がいいとか悪いとかではないが、なぜかくも苦難を経験しなければならなかったというようなことを含めて、現在のイスラエルという国を私は許すことはできない。イスラエルはガザに対して、どうしてこんなにも強行なのか。何もできない私だが意志表明だけはしておきたい。ガザ地区の、パレスチナの私は味方でありたい。ユダヤ人の歴史にはどうも違和感ばかり感ずるのだが、たとえばブラジル日系人などを考えると、そんなに遠い世界のことではない。
蘭奢待の木の屑にほふくらやみの永遠といふ長き時経る
ガラス玉色とりどりにころりころり正倉院の床にころがる
親しきは聖武天皇御物にてこれは何これは何分別してゐる
『大学』第四章 所謂その家を斉ふるはその身を脩むるに在りとは、人はその親愛する所に之(於)いて警(僻)り、その賤悪する所に之いて譬り、その畏敬する所に之いて警り、その哀矜する所に之いて譬り、その敖惰する所に之いて警る。故に好みてもその悪を知り、悪みてもその美を知る者は、天下に鮮し。
故に諺にこれ有り、曰く「人はその子の悪きを知るなく、その苗の碩(大)いなるを知るなし」と。此れを、身脩まらざればその家を斉ふべからず、と謂ふ。
その家の和合ねがふにはおのが身を脩することだこれのみしかなし
前川佐美雄『秀歌十二月』五月 持統天皇
否といへど強ふる志斐のが強語このごろ聞かず朕恋ひにけり (万葉集巻三・二三六)
天皇が「志斐嫗」に賜うた歌だが、この老女はどういう人かわかっていない。いわゆる語部のようなものであろうと考えられている。たいそう記憶がよく、また話上手であって、天皇のお気に入りであったらしい。「否」は原文「不聴」と記されているから、おで、わたしは聞くのはもうたくさんだというのに、いくらでもむりに聞かせる志斐の強語もこのごろしばらく聞かないので、わたしは恋しくなったというやさしい心くばりなのであろう。さすがに女性らしい口つきの、しかもひろく大きく豊かな心からしか発しない機知諧謔をまじえて、これ以上はだれのもいえないと思うほどのうまい冗談をじつにかるがるといっている。志斐嫗に対する思いやりというのか、老女をいたわる暖かい心づかいも感じられて、君臣の間がらとはいえ、わけへだてなくしておられた、その親密感がよくあらわれている。
(略)天皇のふだんの生活、その中の女らしい心のうちを、かような内容のかような曲折ある歌がらを感じて天皇の歌才の豊かさに嘆息するのである。
なおそくざに答えた志斐嫗も、さすがに才たけた女だけに、かるくやり返していてほほえましい。 否といへど語れ語れと詔らせこそ志斐いは奏せ強語と詔る (同・二三七)