九月であるが、今日もまた猛烈な暑さだ。
方乱相
肉體が滅びはてたるその姿みにくきばかり路傍に目る
滅びけるがかくのごとき色になる皮膚裂けてみゆ。湮滅の相
死の色をうにまとひて悪臭を散らしてこれぞわがなり
『孟子』梁惠王章句下12 斉の宣王問うて曰く、「人皆我に明堂を毀てと謂ふ。諸を毀たんか、已めんか」と。孟子対へて曰く、「夫れ明堂なる者は、王者の堂なり。王、王政を行なはんと欲せば、則ち之を毀つこと勿れ」と。
宣王が王の政治をなさんには明堂を毀つことぞ勿れと
前川佐美雄『秀歌十二月』十二月 橘曙覧
旅衣うべこそさゆれ乗る駒の鞍の高嶺にみ雪つもれり (志濃夫廼舎歌集)
師匠である田中大秀を、飛騨の国にたずねて行った時の歌である。(略)この歌のすぐ前に「飛騨国にて白雲居の会に、初雁」と題して
妹に寝るとこよ離れてこの朝け鳴きて来つらむ初かりの声
という秀歌があり、これには「同じ国なる千草園にて、甲斐国のりくら山に雪のふりけるを見て」との詞書があるが、甲斐の国は誤りで、むろん飛騨から東に望まれる信濃ざかいの乗鞍岳である。一首の意は、「旅装束をとおして寒さがきつく身にこたえると思ったら、そのはずだ。乗る駒の鞍という名の乗鞍の高山に雪が積もっている」というのである。二句「うべこそ」だから「さゆれ」で、ほんとうにさえる、まことにさえるの意を強めたので、寒さの身にひどくこたえることである。なお三句「乗る駒の」は四句「鞍の高嶺」の枕詞のようなつかい方を、しているけれど、これは森鞍岳の高嶺を説明しただけで、したがって馬に乗って旅をしていると考えてはいけないのである。
曙覧の歌はだいたいからしてらくらくと歌われているのが多く、(略)どちらかといえば万葉ふうだが、それもかすかなものである。(略)それらとはまったく異なる自由な姿が見られたるとともに、そこにかなり高いと思われる詩情があることに気づく。これがこの時代の、そうした曙覧の歌のいちばん大切なところだが、独楽吟となるとやや低いように思われる。(略)その心は明るく、こだわりがないから、わりあいに人受けがして愛誦される(略)