7月1日(火)

朝からよく晴れている。暑くなる。

小野泰博『谷口雅春とその時代』(法蔵館文庫)を読む。これは名著だろう。一新宗教の創始者だけの話ではない。谷口が宗教的に育つ時代の世界の思想・宗教が取り上げられ、時代の霊の世界を覗いているかのようだ。「生長の家」時代から後が未刊なのが、きわめて残念。亡くならなければ、「生長の家」の時代、またいえば日本会議につながる線なども解き明かされたかもしれない。そういえばわが家には、父の少ない蔵書に『生長の家』全巻が揃っていた。幼少の頃、ひらいた覚えはあるが内容は全く覚えていない。「生長の家」に関する選挙を応援していたことがあるからその際もらったのだろう。私以外開いたこともなかっただろう。いつ消えたのかもわからない。

  地下室に無数のワイン寝てをりぬわれまた六月の死者のひとりか

  死と生のあはひさまよふごとくなりどちらか決めむ死ぬのは嫌だ

  いつまでも死があらはには見えざるにぼんやりとゐるわれならなくに

『中庸』第十章一 凡そ事はめすれば則ち立ち、予めせざれば則ち廃す。前に定まれば則ちかず。前に定まれば則ちまず。行なひ前に定まれば則ちまず。道前に定まれば則ち窮せず。

  前もって考へあれば行きづまり進まなくなることなかるべし

前川佐美雄『秀歌十二月』 東歌・
 彼の子ろと寝ずやなりなむはだ薄の山に月片寄るも (万葉集巻十四・三五六五)
「子ろ」の「ろ」は接尾語で意味はない。「はだ薄」は「はた薄」と同じであろうが、異なるかもしれない。(略)この歌のように「波太須酒伎」とあるものはよくわからない。けれどもこれは「宇良野」にかかる枕詞としてつかわれている。宇良野は長野県小県郡に浦野町があるが、(略)そのころはどこの国の歌かわからなかったのだ。(略)これは高木市之助博士の解が妥当なようだ。もうあの子といっしょに寝ないようになるのだろうか(待っていても来ず)月は宇良野の山に片寄ってしまった、というのである。つまり約束した女が出てこなかった。今か今かと待っているうちに夜がふけて月が宇良野の山に傾いたのだ。それを男が残念に思って悲しみの情を叙べたのである。これも「寝ずやなりなむ」などといっていて少しも卑猥な感じはしない。飾らない心の純粋さのゆえだろう。それを受ける三句の「はだ薄」は枕詞ではあるが、なおその野のさまが目に浮かんでくるとともに、下句のしらべがじつによい。やはり東歌の中での最優秀歌である。ついでだが高木博士は万葉をいう諸学者中、もっとも詩情を解する人である。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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