今日は曇りだね。外は少しだけ涼しい。
ぶきみなるくちなはは藪に隠れたり疚しきものかその後出でこず
くちなはが草藪原に入りゆきて身をひそめたりその後知らず
くちなはは藪のどこかに隠れゐて人を憎むか赤き舌だし
『中庸』第十六章一 子曰く、「愚にして自ら用ふることを好み、賤にして自ら専らにすることを好み、今の世に生れて古への道に反る。此くの如き者は、ひその身に及ぶ者なり」と。
天子に非ざれば礼を議せず、度を制せず、文を考へず。今は天下、車は軌を同じくし、書は文を同じくし、行なひは倫を同じくす。その位ありと雖も、苟もその徳なければ、敢て礼楽を作らず。その徳ありと雖も、苟もその位なければ、亦た敢て礼楽を作らず。
子曰く、「吾れ夏の礼を説く、杞は徴とするに足らざるなり。吾れ殷の礼を学ぶ、宋の存するあり。吾れ周の礼を学ぶ、今これを用ふ。吾れは周に従はん」と。
天下に王として三重あれば、其れ過ち寡なからんか。上なる者は、善しと雖も徴なければ信ならず、信ならざれば民従はず。下なる者は、善しと雖も尊からず、尊からざれば信ならず、信ならざれば民従はず。
天下に王として三重あれば過ちはすくなからん信あれば民従ふ
前川佐美雄『秀歌十二月』八月 伏見院
ゆふぐれの雲飛びみだれ荒れて吹く嵐のうちに時雨をぞきく (玉葉集)
むずかしい語はひとつもないが、「時雨」は万葉集には「九月の時雨」とか「十月時雨」とかの歌があって、新暦になおすと十一、二月ごろ、この歌は「冬の部」にはいっている。三句までが嵐吹く空の説明だが、くどいという感じはしないばかりか、けわしい雲ゆきの空をながめながらさむざむと降る時雨の音を聞いている。時雨だからひとしきり降るとすぐにやむ。やんだかと思うと遠くから降ってきてまたにわかにはげしい音を立てる。そういう情景を古今・新古今ふうの調べではない調べに乗せて歌ったのだ。はげしい嵐の中に聞こえる時雨、それは騒がしいようでもあるが静かでもある。それに耳を傾けている。心のうちはさびしさに堪えないのである。これもたいへん新しい感じの歌で、迢空もいうとおり、このような詠みぶりの歌はこれ以前にもこれ以後にもない。(略)何かと物を思わせられるけれど、こういう奇蹟のごときもやはりありうる。所詮は人である。
のどかにもやがてなりゆくけしきかなきのふの日かげ今日の春雨 (玉葉集)
さ夜深く月は霞みて水落つる木かげの池に蛙なくなり (風雅集)
われもかなし草木も心いたむらし秋風ふれて露くだるころ (玉葉集)