朝、雨は止んでいる。ほんの二時間ばかりだというが。後は雨らしい。
六月八、九日、箱根湯本の宿へ一泊。その際の歌を、これから何日か載せさせてもらう。
湯本のみどり
朝鳥の長鳴く鳥のこゑ聴ゆ山のなだりを木々覆ひたり
濃きみどり薄きみどりにさみどりととりどりなれど夏山みどり
夏の木々に埋もれて鳴くは何鳥かけきょけきょとのみ声しづかなり
ここにも野がらすは居て悪声に鳴きつづけをり町と変はらず
『中庸』巻十八章二 唯だ天下の至誠のみ、能く天下の大経を経綸し、天下の大本を立て、天地の化育を知ると為す。夫れ焉んぞる所あらん。肫肫として其れ仁なり、淵淵として其れ淵なり、浩浩として其れ天なり。
もに聡明聖知にして天徳に達する者ならざれば、其れか能くこれを知らん。
聡明聖知にて天徳に達するものなればこそその境地をぞ知れり
前川佐美雄『秀歌十二月』八月 平賀元義
大君の加佐米の山のつむじ風益良たけをが笠ふき放つ (平賀元義歌集)
「七月十九日、加佐米の山を望む」の詞書がある。「大君の」は「みかさ」の枕詞であるが、「み」を省いて「加佐米」に冠らせた。なぜそういうことをしたか。元義は古学に通じていたので、姓氏禄の「応神天皇、吉備の国を巡行し、加佐米山に登るの時、飄風御笠を吹き放つ」の条を思い出し、それで臆せず「大君の加佐米の山」と歌いあげた。加佐米の山は「備中備前の境」とあるが、はじめは天皇巡行のさまを歌うつもりであった。天皇の御笠を吹き飛ばすほどの飄風が吹いたのだから、むろん 従駕の緒臣も笠を吹き飛ばされたに違いない。それを「大君の加佐米の山のつむじ風」と歌っているうちに錯覚した。いや、よい気分になって自分もその行列の中に供奉しているような気がしてきた。そこでこれもはばかることなく「益良たけをが笠ふき放つ」とやってのけた。もっとも「益良たけをが」だけでは自分のことをいったことにはならない。しかし供奉の行列をいうのなら、それにかわる適当な語はいくらでもあるはずだ。けれどそれがいいたかった。それをいうことによって満足した。元義は「ますらを」という語が好きであった。
大井川あさかぜ寒み大丈夫と念ひてありし吾ぞはなひる
鳥がなく東の旅に大丈夫がいでたちゆかむ春ぞ近づく
といったふうで、みずから「ますらを」をもって任じていた。ともに元義の歌の代表作だが、人がよいのか正直なのか。わしは「ますらを」だぞ、とそり返り、大手を振って歩いている魁偉な風貌が見えるようである。