曇りだが、暑い。
となりて各地を行脚する人になりたき若き日ありき
ほかひして持て余し者になりたきよ病みて痩せたるわが軀おもへば
もともとにもてあまし者この社会よりこのよりはみだしてゐる
『中庸』第十章二 下位に在りて上に獲られざれば、民は得て治むべからず。上に獲らるるに道あり、朋友に信ぜられざれば、上に獲られず。朋友に信ぜらるるに道あり、親に順ならざれば、朋友に信ぜられず。親に順なるみ道あり、諸れを身に反りみて誠ならざれば、親に順ならず。身を誠にするに道あり、善に明らかならざれば、身に誠ならず。
君子の道は遠くして善をはっきり認識しすくなくとも身を誠実に
前川佐美雄『秀歌十二月』 太田水穂
豆の葉の露に月あり野は昼の明るさにして盆歌のこゑ (歌集・冬菜)
このマメの葉はむろん大豆の葉である。枝茎ながらに抜きとるから枝豆ともいわれ、また田の畔によく植えるから畔豆ともいわれる。青田の畔の大豆の葉である。盆歌は盂蘭盆の夜に灯火を持って町内を歩きながらうたう唄(略)一般には盆踊り唄のことをいうので、水穂の郷里である長野県あたりは、とくにその唄もたくさんあって、盆踊りのさかんなところであるようだ。この歌は大正十三年八月、お盆に際して久しぶりに帰郷した時の作、松本市に近い広丘村である。
「野は昼の明るさにして」というほどの月だから、旧のお盆だ。そうしてそれは十六日か十七日ぐらいの月なのだろう。盆踊りは十五日の盂蘭盆が過ぎないとはじまらないからだが、むし暑い夜をいねがたく、またひさびさに見るその夜の月が惜しまれて、外に出た。もの思うともなく歩いていたのだ。少年のころから知りつくしている故郷の野である。すでに夜ふけで畔豆の葉に露がおりて光っている。天心に澄みわたる月は昼をあざむくばかり明るい。するとどこか遠くの方で盆踊りをしている唄ごえが聞こえる。
感懐ひとしおといったおもむきの歌で、かくれた意味があるのではない。(略)秋の稔りを待つばかりである。盆踊りをしているのは、それを祈っての前祝いの遊びでもあるが、また何よりも事もなくおだやかであることの証しでもある。この歌の結句「盆唄のこゑ」からはこのような思いがくみとれる。それは余情として感じられるので、やはり巧みな据え方であると思われる。
けれども「豆の葉の露に月あり」という一、二句、それにつづく三、四句の「野は昼の明るさにして」などは、どことなく俳句的である。俳句的手法によっているのが看取される。(略)水穂の芭蕉への打ちこみようはすさまじかった。赤彦や茂吉とのはげしい論戦をくり返し、まっしぐらにその主義主張をおし通した。俳諧臭を批判されながらも年齢が加わるとともにようやく大きく成長し、欠点は次第に目立たなくなり、水穂独自の歌風ができ上がる。この『冬菜』は第四歌集、そうしてこの歌は五十二歳の時の作である。