7月20日(日)

朝晴れているが、もうすぐ気温は上昇するのだろう。参議院選挙。

  箱根湯本の陶器を扱ふ商店に贖ふ珈琲カップ一つ破れたり

  お気に入りの珈琲茶碗の緑の色やや濃きにカフェの香り

  カップに立ちのぼる珈琲の湯けむりを冷房効いた部屋に見てゐる

『孟子』梁王章句上1-3 未だ仁にして其の親を遺つる者有らざるなり。未だ義にして其の君を後にする者有らざるなり。王も亦仁義と曰はんのみ。何ぞ必ずしも利と曰はん」と。

  王はまた仁義を言へり心がけよ利など口にせざるが王なり

前川佐美雄『秀歌十二月』八月 古泉千樫

ふるさとの 最も高き山の上に青き草踏めり素足になりて (歌集・青牛集)

いったん健康をとりもどした千樫は、翌年三月姪の婚礼に列するために帰郷した。郷里安房郡吉尾村。この時、「ふるさとの最も高き山」である「嶺岡山」というのにのぼった。三百メートルに達しない山だが、それでももっとも高い山に相違ない。健康を案じのぼったことは同じ時の他の歌でわかるが、病気回復のよろこびは青草を素足で踏んでみたかった。その冷たい青草の感触をたのしみたかったのだ。幾年ぶりのことなのか。千樫は心ゆくばかり故郷の村を、その生家を見おろしていたことだろう。心の素直な歌で、感情が行きわたっていて、たれでもが同感する。

千樫は若くして左千夫の門に入りもっとも左千夫に可愛がられた人だ。しかし赤彦や茂吉とちがって、その全力を出しきらずして昭和二年八月、数え年四十二歳でなかなった。迢空は千樫は骨惜しみをするといったが、かなり怠惰なところもあったようだ。生活だ苦しくても案外のんきであったという性格だろうか、その歌はだからして少しも暗くないのである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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