毎日暑い。
立ち上がる珈琲の香に顔よせてその匂ひこれこそ大人の香り
キッチンに珈琲豆を挽く音す期待が胸をふくらませたり
ミルクたっぷりその上に砂糖三杯甘くして珈琲を飲む高校一年
「孟子」梁恵王章句上2-3 に曰く、「時の日か喪びん。と偕に亡びん」と。民之と偕に亡びんと欲せば、台地鳥獣有りと雖も、豈能く独り楽しまんや」と。
呪ひの言葉にこの日いつか亡ぶとあれば台地鳥獣も早晩なくす
前川佐美雄『秀歌十二月』九月 長塚節
馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし (長塚節歌集)
「初秋の歌」と題する連作十二首中第五番目の歌。前後に次のような作がある。
小夜深にさきて散るとふ稗草のひそやかにして秋さりぬらむ
おしなべて木草に露を置かむとぞ夜空は近く相迫り見ゆ
芋の葉にこぼるる玉のこぼれこぼれ子芋は白く凝りつつあらむ
節の代表作としてよく問題にされる。いずれもが傑作で、優劣はにわかにきめら れないが、なお私はこの歌をこそ節のもっとも節らしき作として推奨する。(略)初秋の感はウマオイの声にきわまるといいたい。そのウマオイがあの長い触覚、その髭をうごかしながらやって来た。それを「髭のそよろに来る秋は」と表現した。「そよろ」はそろりと、ゆるりと、おもむろに、というほどの意だが、やはり「そよろ」でないとぴったりこない。だからどこに来たのかなどという愚問を発してはならない。それは庭の木の茂みに来るだけではない。縁がわに来ることもあり、机の上に来ることもある。じっとしている時でも絶えず触覚を動かしている。そういうウマオイを節は子供のころから知りつくしている。あえて写生しようとして写生したのではなく、巧まずしておのずから調べに出て来たかのごとく、天衣無縫を思わせる。とくに下句「まなこを閉ぢて想ひ見るべし」は、上句の繊細に似て、しかも的確なる表現と渾然相和し、冥想にふけっている作者の姿勢をさえも感ぜしめる。清澄限りなき希有の高、品、これをこそ真の象徴というのであろう。(略)この歌は明治四十年、節二十九歳の作、今の三十歳前後の歌人たちには以てゆく考え合わせるとよい。