7月25日(金)

暑いねぇ。

ずいぶん前のラジオテキストだけれど金岡秀郎『文学。美術に見る仏教の生死観』を読み終えた。仏教哲学が理解できて、その周辺が興味深く思われた。なかなかよく出来たテキストである。

  われには古き謀叛を思ひたかぶれるただ雪つもる赤坂界隈

  銃口を向けたるは大内山の暗闇ぞ騙されたるか陸軍幹部に

  昭和天皇への怒りを育て一年経ての銃殺の刑

『孟子』梁恵王章句上3-2 孟子対へて曰く、「王戦ひを好む。請ふ戦ひを以て喩へん。塡然として之を鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳いて走る。或ひは百歩にして後止まり、或ひは五十歩にして後止まる。五十歩を以て百歩を笑はば、則ち如何」と。曰く、「不可なり。直百歩ならざるのみ。是れ亦走るなり」と。曰く、「王如し此を知らば、則ち民の隣国より多きを望むこと無かれ。

ここは『孟子』の中でもよく知られた箇所だ。私も高校時代教わった記憶があるし、教員時代には生徒に教えた記憶がある。

  甲を棄て兵を曳くには百歩でも五十歩でも逃げるに違はず

前川佐美雄『秀歌十二月』九月 天智天皇

妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを (万葉集巻二・九一)

天智天皇が鏡王女に賜った歌である。一首の意は、「あなたの家をも絶えず見ていたいものだ、大和の大島の山の上にその家があってくれるとよいのだが」というぐらいだろう。「家も」と同じ語が重ねてある。「見ましを」「あらましを」と「ましを」が繰り返されてある。語を揃え、調子をととのえてあるのはわかる。それでも結句に疑問を持った。(略)なおよく納得できなかった。それがいつのまにかこの古調を愛するようになった。思う心をそのまま調べにのせて飾るところがない。かえって無限の妙味を感じるようになった。

(略)これは天皇が皇太子として孝徳天皇の難波の宮にいた時分の歌だろう。難波の宮からは信貴、高安、生駒の山々は一目に東に眺められる。けれども恋しい王女の家は山のむこうがわ、大和の平群だ。そこで王女の家が高安山の上にあったなら、いつでも見られるだろうに、と恋しのばれているのである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA