今日も、今日も暑いのだ。朝、五時代に歩いてくる。
井波律子の遺著になる『ラスト・ワルツ』を読む。夫、井波陵一の編である。作者紹介によると律子さんより三つ若いことになる。京都大学の後輩なのだろうかと思いつつ、エッセイのような遺著を楽しんだ。『水滸伝』や『三国志演義』の和訳だけでなく多くの論を書いていたことを知って、また全共闘世代であり、身の内に抵抗の心を持っていられたことも敬すべきであろう。
悪性リンパ腫に罹患してよりわが歩く姿いつのまにかうつむき加減
うつむきて歩くにも良きことあり乾びし蚯蚓避けて行きたり
中庭より舗道に多きみみずのことしもみづから死地を求む
『孟子』梁恵王章句上3-3 農の時を違へずんば、穀げて食ふ可からず。に入らずんば、価値げて食ふ可からず。時を以て山林に入れば、材木勝げて用ふ可からず。穀と魚鼈と勝げて食ふ可からず、材木勝げて用ふ可からざるは、是れ民をして生を養ひ死を喪して無からしむるなり。生を養ひ死を喪して憾無きは、王道の始めなり。
生活や葬儀に憂ひなくばこそまさに王道の始めなるかな
前川佐美雄『秀歌十二月』九月 鏡王女
秋山の樹の下がくり逝く水の吾こそ益さめ御思よりは (同・九二)
右の天皇の歌に鏡王女の和えた歌である。「秋山の木の下を隠れつつ流れゆく水の水かさがだんだんふえるように、私のあなたをおしたいする思いはあなたの私を思い下さるよりは一層多いのでございます」とういのである。三句までが序詞だが、序詞らしいおもむきの少しもしない、これはこれだけでもしずかな秋をよく表現していて、もみじした木の下を流れゆく水が見え、その 音さえ聞こえるようだ。それにこの下の句である。「吾こそ益さめ御思ひよりは」のつつましさ、心くばりが行きとどいていて、しかも情緒はこまやかである。甘美で幽艶、この上もなく品がよい。天皇への和え歌ということもあろうが、この歌などとくにすぐれていて、女性歌人のよさを最高限に示したものと思われる。
(略)一概にはいえぬことだが、私は姉の鏡王女の歌に同情している。好き嫌いだけからいうのではない。王女の歌のどことなしに近代的な新しさがあると思っている。歌だけからして妹よりはおとなしい人だったようだ。その墓は桜井市忍阪、舒明天皇陵の奥がわにある。それは鏡のような円墳だが、その左上の古墳らしい丘があるいは額田王の墓ではないかと思ったりもする。