さて、今日も暑い。
ひさびさに生きてゐる蚯蚓に会ひにけり蠕動しつつ草むらに入る
なぜかくも乾らぶるみみずの多きなり場所を変へつつ死にけるものぞ
雨降れど乾ぶるみみず彼方此方踏まざるやうに俯き歩む
『孟子』梁恵王章句3-5 狗彘人の食を食ひて、検するを知らず。塗に餓莩有りて、発するを知らず。人死すれば、則ち我に非ざるなり、歳なりと曰ふ。是れ何ぞ人を刺して之を殺し、我に非ざるなり、兵なりと曰ふに異ならんや。王歳を罪する無くんば、斯に天下の民至らん」と。
王もまた責任をこそ考えて実りに罪を着せなければ民慕ひ寄る
前川佐美雄『秀歌十二月』九月 会津八一
まゆねをよせたるまなざしをまなこにみつつあきののをゆく (同)
「戒壇院をいでて」とある。戒壇院は大仏殿の前庭に鑑真が中国五台山の土をもって築いたのが、後に今の大仏殿の西がわの地に移されたといわれ、有名な四天王像が遺っている。それぞれ等身大の塑像だが、類まれな傑作として評判が高い。「毘楼博叉」は梵語で広目天をいう由だが、堂の西北隅に立っていて、この歌のとおりにひたいにしわを寄せ、眉をきつくひそめている。四天王中また一段とすぐれていて、たれの心をもひきつける。この歌はその広目天が忘れられず、戒壇院を出て、秋日照る春日野の方へ歩いて来ても、その「まゆねよせたる」目が忘れられない。いつまでもついて離れないのを「まなこにみつつ」といった。ちょっととまどわされるようだが、よく読むとこれでよいので、かえってよく調べられてあることに気づく。
この毘楼博叉は例外だが、八一の歌はほとんどといってよいほどみな仮名書きである。これは日本語の性質なり調べを重視することから来ている。確かによく調べられていて独特の歌風を思わせるが、正直いって読みづらい。一度ぐらいでは意味さえつかめない。そこで息を入れて繰り返し読むということになるが、かつて私はその歌を人をして漢字まじりに書きかえさせたことがある。すると急にその独自性のうすらぐのを感じた。やはり世間なみの表記法によるべきではなかったか。八一は渾斎とも秋艸道人とも号していた。とくに大和古寺社の歌で知られている。