雨降ってくれないかなあ。今日も暑い。七夕星も困るだろう。
ぬかるみを長靴履きて深みへと溺れるごとく歩みゆきたり
ぬかるみに読みさしの手紙を千切り捨て彼女の思ひに応へることなし
ぽたりぽたり雨の溜りて落ちてくるこの家にあり何ともしがたし
『中庸』第十四章一 誠なる者は自ら成るなり。而して道は自らくなり。誠なる者は物の終始なり。誠ならざれば物なし。是の故に君子はこれを誠にするを貴しと為す。誠なる者は自ら己れを成すのみに非ざるなり、物を成す所以なり。己れを成すは仁なり。物を成すは知なり。性の徳なり。外内を合するの道なり。故に時にこれを措きて宜しきなり。
故に至誠はむことなし。息まざれば則ち久しく、久しければ則ちあり。徴あれば則ち悠遠なり、悠遠なれば則ち博厚なり、博厚なれば則ち高明なり。博厚は物を載する所以なり、高明は物を覆ふ所以なり、悠久は物を成す所以なり。博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久はりなし。此くの如き者は、さずしてはれ、動かずして変じ、為す無くして成る。
誠こそ貫くものぞかくなればことさら作為なくとも成らむ
前川佐美雄『秀歌十二月』七月 釈迢空
まれまれに我をおひこす巡礼の跫音にあらし遠くなりつつ (歌集・春のことぶれ)
昭和二年八月十一日、千樫の訃を迢空は土佐国室戸崎で知った。千樫と迢空はとくに深い友情関係にあり、大正十三年四月、ともにアララギを去って、北原白秋らの『日光』創刊に参与したのも千樫のすすめによるものであった。その親友の訃をたまたま旅先の室戸崎で聞いたのだ。四国八十八か所、第二十四番の札所、最御崎寺で聞いたのだ。(略)迢空はその悲報に心くずおれ、がっくりしたのであろう。あの長い石段の坂道をのぼる元気もなしに立ちたたずんでいたのか。深い悲しみの心のうちを影びとのように巡礼の足おとが過ぎて去る。その足おとは黄泉の国に急ぐ千樫の足おととも思われたのか。生きている自分を残しておいて音なく過ぎ去る、その夢ともうつつともわからないような状態を「跫音にあらし」と表現した。「まれまれに」「おひこす」
「遠くなりつつ」みないずれもはかなくも悲しきこの世の声だ。この歌につづく次の歌も秀歌の聞こえが高い。
なき人の今日は七日になりぬらむ遇ふ人もあふ人もみな旅人
迢空の歌はさらによくなって、晩年新境地をひらく。学問の方は本名折口信夫でとおした。