蓼科二日目。尖石に入ったり観光農園で買物をしたり温泉に入ったり。
ハンディファンを今年も使ふ交差点に首すぢあたりに風を当てたり
わづかではあるものの風が吹き来れば生き返るごとし歩みは停めず
右手にはカップ珈琲、左手にハンディファンをぢぢいが歩く
『孟子』梁恵王章句上7-2 曰く、王堂上に坐す。牛をいて、堂下を過ぐる者有り。王之を見て曰く、『牛にく』と。対へて曰く、『将に以て鐘をらんとす」と。王曰く、『之をけ。吾其のとして、罪無くして死地に就くに忍びず』と。対へて曰く、『然らば則ち鐘にること廃せんか』と。曰く、『何ぞ廃す可けん。羊を以て之にヘよ』と。識らず有りや』と。曰く、「之有り」と。曰く、「是の心以て王たるに足る。百姓は皆王を以てめりと為すも、臣はより王の忍びざるを知るなり」と。
世間では王はもの惜しむといひたれど哀れみをもつことわれは知りたり
前川佐美雄『秀歌十二月』十月 金子薫園
秋の昼の小島に石を切る音のしづけき海をひびかせにける (歌集・草の上)
大正三年二月刊行の第七歌集『草の上』に出ている。第六歌集『山河』の出たのは明治四十四年だから、この『草の上』は薫園三十六歳から三十九歳までということで、意気最も盛んなころの歌だ。(略)この時分は歌詞歌調も平明になり、叙景歌とともに身辺の雑事も多く歌って、薫園調ともいうべき歌風がかなりはっきりするに至っている。(略)これは「灯台」と題する六首中の歌だが、しずかな声調の、かつ明るい心の歌である。下句「しづけき海をひびかせにける」がこの歌の生命だが、おおざっぱというなかれ。のびのびと屈託なしに歌っているのがこの歌のよいところ。薫園は生涯老熟したようなおもむきの歌は作らなかった。わりあいのその歌の品はよいのである。