蓼科三日目、御射鹿池へ寄って、再び観光農園へ。そして帰り、釈迦堂に寄っただけで、相模湖から抜ける。そして海老名へ。旅の終わりである。
この暑さゆゑにかあらむ幾たびもティッシュペーパー鼻に宛てたり
鼻水は老いの所為かも近年は特に酷くてティッシュはなせず
ティッシュを小さく丸め持て余す捨てる処あれば顔がほころぶ
『孟子』梁惠王章句上7-3 王曰く、「然り。誠になる者有り、なりと雖も、吾何ぞ一牛をまんや。則ち其のとして、罪無くして死地に就くに忍びず。故に羊を以て之に易へしなり」と。曰く、「王百姓の王を以て愛めりと為すをしむこと無かれ。小を以て大に易ふ、彼んぞ之を知らん。王若し其の罪無くして死地に就くことまば、則ち牛羊何ぞ択ばん」と。王笑つて曰ぅ。「是れ誠に何の心ぞや。我其の財を愛みしに非ず。而も之に易ふるに羊を以てす。なるかな、百姓の我を愛めりと謂ふや」と。
誠に百姓なるものあり財を惜しむにあらず牛、羊と変ふ
前川佐美雄『秀歌十二月』十月 良寛
紀の国の高野のおくの古寺に杉のしづくを聞きあかしつつ (良寛全集)
「たかののみてらにやどりて」の詞書がある。一首の意は、「紀州の国の高野山金剛峰寺の奥の古寺に参籠して、老杉から滴り落ちる露しずくの音を聞きながら一夜明かした」したというのである。三句「古寺」までの一、二句は、その古寺をいうための説明だが「の」の助辞を四つも重ねてあるにかかわらず耳ざわりでない。かえつてはるばると高野山の奥まで来たという感慨をもよおさせるのは、これにつづく「杉のしづくを聞きあかしつつ」の秀句があるがゆえだ。何でもないことばのようだけれど、
こうはなかなかいえないものだ。
雨雲に濡れた深山の老杉は昼となく夜となくしずくしている。しとしとと絶えまもあらぬそお音を「聞きあかしつつ」と現在形でいった。たくらみのない素直さである。おのずからよく単純化せられその夜のさまをさながらに感じさせる。
これは量感が亡父の菩提とむらうために高野山へのぼった時の作かといわれている。
(略)これはなおさら思い深い歌で、一夜眠らずにあれをこれをと父の一生を思い、また自分の来し方、行く末を思うて慚愧し悔悟し懊悩しながら輾転していたのかもわからない。けれどもそれは考える必要がない。(略)ことばにあらわれただけを、その調べだけを感じとればよいのだ。するとこれはいよいよ純粋な心の歌であることがわかる。高野の奥の古寺に、杉しずくする夜を眠らずに起きている。そのさまを思い見るだけでよいのである。
(略)帰国したのは寛政七年、三十八歳おころと推定されており、そうしてこの歌はそのころのものと考えられている。すなわち良寛としては初期の作だが、その中でもっともすぐれた一首である。