朝少し間があって、雨が降りだした。
失敗した印刷用紙の裏側を四つに切りてメモ用紙とする
A4を二つに切りてそれぞれにまた二つにしてメモ用紙となる
このメモには何を書くらむおそらくは短歌にかかはるあれやこれや
『孟子』梁恵王章句上7-5 曰く、「王にす者有り。曰く、『吾が力は以てを挙ぐるに足れども、以て一羽を挙ぐるに足らず。は以ての末を察するに足れども、を見ず』と。則ち王之を許さんか」と。曰く、「否」と。「今、恩は以て禽獣に及ぶに足れども、攻は百姓に至らざる者は、独り何ぞや。然らば則ち一羽の挙がらざるは、力を用ひざるが為なり。輿薪の見えざるは、明を用ひざるが為なり。百姓のんぜられざるは、恩を用ひざるが為なり。故に王の王たらざるは、為さざるなり。能はざるに非ざるなり」と。
王の王たらざるは自分でならないのでありなれないのではない
前川佐美雄『秀歌十二月』十月 舒明天皇
夕されば小倉の山に鳴く鹿の今夜は鳴かず寝ねにけらしも (万葉集巻八・一五一一)
巻八「秋の雑歌」のはじめに見える岡本天皇の歌である。岡本天皇は岡本宮を皇后とされた天皇の意で、舒明天皇と解するのが普通である。(略)すなわちこの歌は宮殿の中から歌われたと考えられる。「夕ぐれになると、いつも小倉の山で鳴いているシカが今夜は鳴かない。どうしたのだろう、多分寝てしまったらしいわい」というのである。夜ごとに妻を求めて鳴いていたシカが、ようやく妻を得て寝てしまったという心の歌である。けれどもそのことを直接歌おうとしたのではない。今夜に限って鳴かないのはどうしてだろうと耳を澄まして聞き入っている心がおのずからこのような歌になったので、それだから「寝にけらしも」を「率寝」の意味に取ったりしたのでは、帰って歌の本意に反することになり、品をそこなうことになる。瞑想にふけっている安らぎの歌である。豊かに心の満ちわたった高い調べの美しい歌である。(略)なおこの歌とほとんど同じ歌が雄略天皇の歌として伝えられている。
夕されば小倉の山に臥す鹿の今夜は鳴かず寝ねにけらしも (同巻九・一六六四)
三句「鳴く鹿は」が「臥す鹿の」となっているだけである。「鳴く鹿は」よりはさらに古調であるべきを、あたかも現代歌人のように「鳴く」および「は」の助辞の重複を避けて語句をととのえているなど、後世改竄の手が加えられたものだろう。