雨ではない。
後尾灯の赤き点滅まぶしくて午後七時半県道51号線
つぎつぎに後尾灯つづまるごときな り信号赤に待ちたり
くもり空が圧しくるやうに暗くして後尾灯の赤点滅したり
『孟子』梁惠王章句上7-7 吾が老を老として、以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼として、以て人の幼に及ぼさば、天下はにらす可し。詩に云ふ、『に刑し、に至り、以て家邦を御む』と。斯の心を挙げて諸を彼に加ふるを言ふのみ。故に恩を推せば、以て四海を保んずるに足り、恩を推さざれば、以て妻子を保んずる無し。古の人、大いに人に過ぎたる所以の者は、他無し。善く其の為す所を推すのみ。今、恩は以て禽獣に及ぶに足り、而も攻は百姓に至らざる者は、独り何ぞや。権して然る後に軽重を知り、して然る後に長短を知る。物皆然り。心を甚しと為す。王請ふ之をれ。
王よもの皆さよう心をはかること王よ心のうちを測れ
前川佐美雄『秀歌十二月』十月 石榑千亦
帆を捲きて風にそなふる遠つあふみ灘のゆふべを雁なきわたる (歌集・潮鳴)
「遠つあふみ」の「あふみ」は淡海のこと。近い淡海が琵琶湖であり、遠い淡海が浜名湖であり、それから近江、遠江の国名が生れた。(略)遠江灘、すなわち遠州灘で、熊野灘とともに波が荒いので海の難所とされている。これはその遠州灘を航行中の歌だ。「帆を捲きて」だから機帆船だったのだろう。おりしも台風が来そうな険しい空模様になって来た。海上は次第にしけて来た。はげしい風が吹いて波浪のうねりが高まって来た。流されないようにそこで帆は全部捲きおろした。しかも日はちりじりの暮れ方である。不安やる方もないひとときである。その時どこからともなく雁の声が聞こえて来た。時が時、場所が場所だけに救わるるような思いをした。いやいっそう荒涼たる思いをしてそのかりがねの行方を見送っていたのだろう。
この場合二句「風にそなふる」はなくてはならぬ句だが、それを受ける「遠つあふみ灘」は句割れになっている。一語であるその語が、調べからすると「遠つあふみ」今日の若い歌人はほとんど無頓着である。歌が調べをなくし、散文化して、詩の断片語みたいになるのは当然である。(略)この歌は三、四句のつづきぐあいに苦心したことがわかる。「灘」にアクセントをつけたものだ。それがおのずから「雁なきわたる」と豊かに大きく歌いおさめる結果を来たした。(略)この『潮鳴』は千亦の第一歌集、大正四年の刊行である。(略)