今日も亦、暑い、暑い。
重ねたる本の数冊。読み、読まねばならぬしかし読み得ず
つぎつぎに読みたき本の名をあげる。その半分も読むことかなはず
長谷川二郎の二冊の文庫気になれど現代推理小説がおのづから先に
『孟子』梁恵王章句下8 孟子に見えて曰く、「暴、王にゆ。王、暴にぐるに楽を好むを以てす。暴未だ以てふる有らざるなり。曰く、楽を好むこと」と。孟子曰く、「王の楽を好むこと甚だしければ、則ち斉国其れからんか」と。
斉の王が楽好むこと甚だしされば理想の政治に近し
前川佐美雄『秀歌十二月』十一月 尾山篤二郎
海苔ひびの林わけゆく舟二はいとほり過ぎゆき目に寒からず (同)
「或日」と題する十二首中の一首。「海苔ひび」は海苔をとるために海中に立て列ねる粗朶をいうので、それが文字通り林立しているものだから「林わけゆく」といった。「舟二はい」とことさらいったのは小舟をあらわしたかったからだ。この歌は家の中からガラス戸越しにその海を眺めているので、結句の「目に寒からず」はその部屋がストーブを入れていて暖かいものだから、寒かるべき海の眺めが「目に寒からず」かんじられた。寒中のある日、外出して気分が悪くなった。
医者に寄り血圧はかり以ての外ぞ凝乎と寝て居ねと叱られて帰る
その時の歌で、彼の本心が何であるか思わせるをおだやかな感情のよく出ている佳作である。篤二郎は戦後は横浜の金沢文庫の近く、称名寺のへんに住むようになったから、家からすぐに海が眺められた。昨年夏七十五歳でなかなったが、隻脚の人で松葉杖を突いていた。この歌集『雪客』は「サギ」と読む。サギは一歩脚で立つ鳥だからだが、わが身をしゃれてサギになぞらえる。みずからはなかなかいえないことだ。七十三の時に出した第十一冊目の歌集である。