暑いのだ、暑いのだ。
ハン・ガン『涙の箱』、美しく、悲しくなり、心ゆたかに、しあわせになるような童話である。
積みあがる本の山よりてくるまだ読むことなかりし小説
女性の書く『京都異界紀行』新品のまま読まぬが出てくる
古びたる『神屋宗湛の残した日記』、全く読まずに山より出づる
『孟子』梁恵王章句下8-2 他日、王に見えて曰く、「王嘗て荘子に告ぐるに楽を好むを以てすと。有りや」と。王色を変じて曰く、「寡人能く先王の楽を好むに非ざるなり。直世俗の楽を好むのむ」と。曰く、「王の楽を好むこと甚しければ、則ち斉は其れからんか。今の楽は猶ほ古の楽のごときなり」と。曰く、「聞くこと得可きか」と。曰く、「独り楽を楽しむと、人と与に楽を楽しむと、孰れか楽しき」と。曰く、「人と与にするに若かず」と。曰く、「少と与に楽を楽しむと、衆と与に楽を楽しむと、孰れか楽しき」と。曰く、「衆と与にするに若かず」と。
王世俗の楽を好み衆とともにするを楽しめば斉の国こそ有望なり
前川佐美雄『秀歌十二月』十一月 大津皇子
百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ (万葉集巻三・四一六)
「大津皇子、被死からしめらゆる時、磐余の池の陂にして涕を流して作りましし御歌一首」の詞書がある。前にも記したように、大津皇子は謀反の企てありとして捕らえられ、朱鳥元年十月三日訳語田舎で詩を賜った。その時の歌である。「百伝ふ」は枕詞で、百へ至るという意で、五十または八十にかかる。ここでは五十の磐余にかけた。(略)一首の意は「磐余の池に鳴いている鴨を見るのも今日限りで、天がけり雲に隠れて私は死んでゆくのか」というのである。同じ時に作った五言「臨終」の一絶が懐風藻に伝えられている。
金烏西舎に臨らひ 鼓声短命をう催す 泉路賓主無し 此の夕べ家を離りて向ふ
「西に傾いた日が家を照らし、夕刻を知らす鼓の音は短い自分の命をいっそうせき立てるようだ。あの世の路は客も主人もないだろう。この暮れ方自分はひとり家を離れて死出の旅路に向かうのである」というほどの意だが、歌と詩いずれがすぐれているか。皇子ははやくから文筆を愛し「詩賦の興は大津より始まる」といわれたくらいだから、詩もゆるがせにはでいない。ともにあわれをもよおさしめる(略)ともあれ毎年冬になるとその池に来るカモを見て、それに全生命を託したかのごとき下四、五句の語気語勢、その詠歌の調に歎息する。しかもうらみがましい思いはみじんも述べられていない。(略)地位高く心丈き人のつねのならいか。さらばいっそうに心に沁むが、契沖は「歌と云ひ詩と云ひ声を呑て涙を掩ふに遑なし」といっている。
この時、妃の山辺皇女が殉死している。(略)日本歴史中でもっともあわれ深い場んで、その光景が見えるようだ。これを思いこの歌を読む、何びとも涙せざるをえないのである。