8月25日(月)

今日一日暑いようだ。

その二

  海老名駅の南も暑く、サングラスに暴漢きどれどかよわき爺

  四階のスターバックスに席を得て、ガラス戸にむかふ。空を見てゐる

  雲一つなき夏の空かくもかくもぞわが左右の人

『孟子』梁惠王章句下10 斉の宣王問うて曰く、「隣国に交はるに道有るか」と。孟子対へて曰く、「有り。仁者のみ能く大を以て小に事ふることを為す。是の故にはに事へ、文王はに事へたり。惟智者のみ能く小を以て大に事ふることを為す。故に大王はに事へ、は呉に事へたり。大を以て、小に事ふる者は、天を楽しむ者なり。小を以て大に事ふる者は、天を畏るる者なり。天を楽しむ者は天下を保ち、天を畏るる者は其の国を保つ。詩に云ふ、『天の威を畏れ、時にて之を保つ』と」

『詩経』にいふ「天の威を畏れ、時に于て之を保つ」さてさてかくのごとくなり

前川佐美雄『秀歌十二月』十一月 待賢門院堀河

長からむ心も知らず黒髪の乱れてけさはものをこそ思へ (千載集)

「百首の歌奉りける時、恋の心を詠める」とある。「長からむ心も知らず」はいつまでも心変わりしないかどうかも知らずに。「黒髪の」は「長からむ」の縁語だが「乱れてけさは」の掛詞となっている。「ものをこそ思へ」はこの場合は恋の物思いをする。思い悩むというほどだろう。一首の意は、「いつまでも心変わりなさらないかどうかがわからないので、寝乱れた黒髪のように心が乱れて、今朝はさまざまに案じられる」というぐらいである。(略)この歌は拾遺集のおち紀貫之の、

朝な朝な梳ればつもるおち髪の乱れて物を思ふころかな

を本歌としたものとされているが、貫之の歌は汚らしい。はたしてこのような歌を本歌としたか、作者に聞いてみなければわからぬことだ。(略)貫之の歌とはくらぶべくもないすぐれた歌なのだから。

これも百人一首に入っている歌だが、玉石混淆の百首中にはこのような秀歌もあるのだから、救わるる思いがする。作者は中古六歌仙の一人、鳥羽天皇の皇后待賢門院に仕えていたが、皇后が出家されたので、したがて尼になった。祖父の兄が堀河左大臣であったところから待賢門院堀河と呼ばれた。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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