8月30日(土)

また本日は猛烈に暑くなる。40度を超すところもあるらしい。

血塗相

  九竅より血や体液の沁みいづるくるところに沁みだす悪臭

  わがより溢れだすもの地にたまり、臭ふぞ。そこの沁みたるところ

  悪臭は死にたるわれの臭ひなり。この地の臭ふ、逃れがたかり

『孟子』梁恵王章句下11-3 今や然らず。師行きて糧食す。飢うる者ははず、労する者ははず。睊睊としてり、民乃ちをす。命を方ち民を虐げ、飲食流るるが若く、流連荒亡、諸侯も憂ひと為る。流れに従ひて下り、而して反るを忘る、之を流と謂ふ。流れに従ひて上り、而して反るを忘る、之を連と謂ふ。獣に従ひてく無き、之を亡と謂ふ。酒を楽しみて厭く無き、之を亡と謂ふ。先王には流連の楽しみ、荒亡の行なひ無かりき。惟君の行ふ所のままなり」と。

  先王の行なひと今の通弊といづれを選ぶか王の心しだひなり

前川佐美雄『秀歌十二月』十二月 防人

大君の命かしこみ磯に触り海原わたる父母を置きて (万葉集巻二十・四三二八)

防人は崎守で、辺境を守る人の義。守備兵と考えてさしつかえない。(略)それら防人の歌は巻七の古歌集の中に、また巻十四の東歌の中に若干まじる程度であるが、巻二十には長短歌あわせて九十余首もあり、一団の防人歌篇をなしている。これは天平勝宝七年に防人の交代があり、その時に家持は兵部小輔の役目から防人を検閲したので、」あわせてそれらの歌を採録したためである。(略)この歌は相模の国の部領使、すなわち防人輸送の役をしていた藤原宿奈麿が集めて進った歌のひとつで、助丁、丈部造人麿という防人の作である。一首の意は、「天皇の命令を畏みたてまつって防人になって行くのだ。あぶない磯のへんを過ぎ、荒浪の海を越えながら、国元にはいとしい父母を残しておいて」というのである。この「大君の命かしこみ」はこの場合やはりなくてはならぬ語だ。少しもうつろなひびきがしない。それを受ける「磯に触り海原わたる」は海路渡航の状を具体的に、またよく単純化して結句の「父母を置きて」に対応する調べよき語となっている。防人の歌は東歌かと見まちがうほどである。なまりの多い語で、ひたすら相聞恋愛の情を歌っている。そういう中で、これはいかにも防人らしい防人の歌として注意せられる。なおこの「海原」を「ウノハラ」というのは集中これひとつである。なかなかよいと私は思っている。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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