9月18日(木)

暑いが、午後から雨のようだ。

  けやき木の大木の葉の繁るところ空の青さに翳りを作る

  欅樹の広き木影に入りゆきて少し体温も低くなりゆく

  けやきの翳りなす所にけさもまたホームレス一人ものを考ふ

『孟子』梁恵王章句下21 滕の文公問うて曰く、「斉人将にに築かんとす。吾甚だ恐る。之を如何せば、則ち可ならん」と。孟子対へて曰く、「、大王に居る。之を侵す。去つての下に之きて居る。択んで之を取るに非ず。已むを得ざればなり。も善を為さば、後世子孫、必ず王者有らん。君子業を創め統を垂れ、継ぐ可きを為す。の成功の若きは則ち天なり。君彼を如何にせんや。めて善を為さんのみ」と。

  滕の文公問ふ斉の力の迫り来るいかにせむとや。みずから善をつくすのみ

林和清『塚本邦雄の百首』

ジョゼフィヌ・バケル唄へり 掌の火傷に泡を吹くオキシフル (『装飾楽句』)

世界を魅了した黒人レビュアーで、人種差別と闘いながら、歴史に名を刻んだ「黒いヴィーナス」。その活躍を知る世代の読者には、この歌を絶賛する人が多い。

それは下の句との二物衝撃の取り合わせによるのだろう。当時は家庭に常備されていたオキシフル。傷口の消毒には欠かせないものだった。血液中の成分と反応して泡が出る、というが最近では見ない現象かもしれない。

力の限り歌う彼女の黒い肌と白い歯、赤い唇。その衝撃と傷口の泡、塚本は俳句から得た取り合わせの技法のもっとも成功した一首であろう。

原爆忌昏れて空地に干されゐし洋傘が風にころがりまはる (『装飾楽句』

塚本自身が「劇しく希求していた」と跋に書いているように、この歌集ではリアリティが追及されている。色彩喩や二物衝撃の象徴技法の高度化により目立たないが、基盤にあるオーソドックスな文体と緻密な観察眼は、随所にその特長を発揮している。

この歌の初句を「夏の日の」とでも替えてみたら、干された傘が転がる光景が、写実短歌として普通に通用するレベルになる。しかし塚本はそこに「原爆忌」という限定を冠する。その瞬間、阿鼻叫喚の世界が幻視される。かつて呉から遠望した茸雲がよみがえる。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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