9月20日(土)

突然に涼しい。

  つる紫のむらさきの茎切り刻みねばねばはそれいのちのねばり

  モロヘイヤをこれも刻めばねばり出る叩けばさらに粘液出づる

  C級のトマトの大きを三箇ほどぶら提げてトマト屋の出口を出づる

『孟子』梁恵王章句下23 魯の平公将に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ぜり。今、乗輿已に駕せり。有司未だ之く所を知らず。敢て請ふ」と。公曰く、「将に孟子を見んとす」と。曰く、「何ぞや君の為す所、身を軽んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。礼儀は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君見ること無かれ」と。公曰く、「諾」と。

  平公が孟子に会はんと近臣も連れずに往くを臧倉とどむ

林和清『塚本邦雄の百首』

突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼 (『日本人霊歌』)

突風の中いきなり割れる卵、あるいは転がり落ちて地面で割れる卵。衝撃力は前者がまさるが、悲惨さは後者の方が上回る。かつて卵は店頭でザルに積まれていたので、転がり落ちる卵はよくあった現象だろう。

この歌には自注がある。「實彈射撃とやらで幹部候補の青年軍人が標的役を押しつけられ、左眼を撃たれ、彈丸は左腦を射貫き、血まみれで運ばれるのを咫 尺に視た。襟のカラーが水晶体の粘液と血で、薄紅に汚れてゐた。」塚本が見たのは、敵兵ではなく、同朋人に撃ち抜かれた眼だったのだ。

蒼き貝殻轢きつぶしゆく乳母車・  , ,

 塚本には下の句に外国語の文言をそのまま使った名歌がいくつもある。「冬苺積みたる貨車は遠ざかり〈Oh!Barbar quell connerie la guerre〉」「假死の蠅蒼蒼と酢の空瓶に溜め  」など、その中でもこの歌の終末感は絶望的でさえある。出典はオーデンの詩「不安の時代」に繰り返される詩句。結核の療養期に濫読したものが文学的血肉になったのだろう。さらに乳母車というモチーフは、エイゼンシュテイン監督『戦艦ポチョムキン』(一九六七)の有名なシーンも彷彿とさせる。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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