朝から涼しい。秋の天気?
刈れ果てた耄碌の身にももて余す欲情あらむせむかたなしに
もうとうに役にはたたぬわがペニスひねこびてちぢむわれのものなり
白きもの多くをまじへわが陰毛なさけなしなにも役にはたたず
『孟子』公孫丑章句上24 公孫丑問うて曰く、「夫子 路に斉に当らば、管仲・晏子の功、復た許す可きか」と。孟子曰く、「子は誠に斉の人なり。管仲・晏子を知るのみ。或ひと曾西に問うて曰く、『吾子と子路と孰れか賢れる』と。曾西然として曰く、『吾が先子の畏れし所なり』と。曰く、『然らば則ち吾子と菅仲と孰れか賢れる』と。曾西艴然として悦ばずして曰く、『爾何ぞ曾ち予を管仲に比するや。管仲は君を得ること、彼の如く其れ専らなり。国政を行ふこと、彼の如く其れ久しきなり。功烈、彼の如く其れ卑しきなり。爾何ぞ曾ち予を是に比するや』と。曰く、管仲は曾西の為さざる所なり。而るに子 我が為に之を願ふか」と。
管仲は曾西でさえ相手にせずそれだのに君は管仲を願ふか
林和清『塚本邦雄の百首』
醫師は安樂死を語れども逆光の自轉車屋の宙吊りの自轉車 (『綠色研究』)
この歌集には自歌自注の名著『綠珠玲瓏館』(一九八〇)があり、ブッキシュな歌の理解を助けてくれると同時に、ほかの自作やあらゆる先蹤芸術に話題がひろがり、さらなる美学世界が増殖して眩暈をもようさせる。
その解説の中で歌を基にしたストーリーが展開し、歌に封じ込められていたドラマが動き出すことがしばしばある。この歌にも母や妻を安楽死させたい男のドラマが展開される。やはり秀逸なのは宙づり自転車のフォルム。安楽死を選ぶか否か、どちらにしても苦悩は尽きない。逆光の中に無限大∞の記号が浮かんでいる。
カフカ忌の無人郵便局灼けて頼信紙のうすみどりの格子 (『綠色研究』)
フランツ・カフカは肺結核により一九二四年六月三日に他界した。日本では梅雨時だが晴れていれば灼熱の日にもなる。『変身』『城』『審判』、不条理を描き切った作家の死を思う塚本は、炎天に静まり返る街を連想するらしい。かつて「わたしにとって魂の刻限状態は必ず灼熱の夏に来るようです。」と塚本自身の口から聞いたことがある。この歌は「の」と「灼けて」以外はすべて名詞。頼信紙は電報の用紙で緑のマス目があった。とりわけ難読難解な名詞は使われていない。ただなぜ郵便局は無人なのだろうか。読後に謎が残る。