9月30日(火)

秋を感じさせる涼しさ。

  二・二六事件の謎にかかはりし通信傍受いや盗聴のこと

  知らされず青年将校ら銃殺され盗聴のこと闇に埋まる

  死にするは青年将校のみにして陸軍参謀ろくなことせず

『孟子』公孫丑章句25-3 孟施舎は曾子に似たり。は子夏に似たり。の二子の勇は、未だ其の孰れか賢れるを知らず。然り而うして孟施舎は守り約なり。昔者、曾子 に謂ひて曰く、『子 勇を好むか。吾嘗て大勇を夫子に聞けり。自ら反してからずんば、と雖も、吾れざらんや。自ら反してくんば、千万人と雖も吾往かん』と。孟施舎の気を守るは、又曾子の守りの約になるに如かざるなり」と。

  みずから反省して正しきならば千万人といへども吾れゆかむ

林和清『塚本邦雄の百首』
雪いまだ觸れざるはがねいろの地 紅旗征戎をきみは事とす 『蒼鬱境』(一九七三)

二人の知己への供華として書かれた三〇首の短歌をもって、第八歌集『蒼鬱境』とした。歌の数も跋文無しも異例中の異例だが、「序数歌集」として扱うことこそ、事態の深刻さと衝撃の大きさ、そして以後の塚本の生の在り方への決意を示しているのであろう。

この歌には藤原定家の言葉が引かれている。武をもって世に渡り合うことを否定した定家と、あくまでも文に執しつづける覚悟をした塚本は同じ地平に立つ。

そして紅旗征戎を事とする君が行くのは、未踏の荒野。その地には雪さえ触れることはできないのだ。

すでにして詩歌黄昏くれなゐのかりがねぞわがこころをわたる 『靑き菊の主題』(一九七三)

政田岑生と出会った塚本は精力的に散文の仕事に注力し始める。小説集『紺靑のわかれ』(一九七二)や評論集『定型幻視論』(一九七二)などの名著が生れる。岡井隆や三島由紀夫の文も、と言えば軽々しいが、政田の献身的な助力により、大家への道が開かれたのは確かなことだ。

第七歌集のころより、天命としての詩歌そのものを主題とした歌が増えてゆく。前衛の時代を駆け抜け、いま詩歌は陽の傾く時刻。その時、落日に染まる雁の姿は、古典和歌の言語世界のよみがえりを示す。やせ細る現代短歌にくらべその世界はなんと豊穣なのか。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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