2025年3月24日(月)

曇り空で、昨日ほど暖かくないが、木蘭が満開である。

  停留所の看板の前に悄乎(しょんぼり)としてゐる老いを指さす子らが

  なんとなくをかしき姿(なり)をしてゐるか子らの囁き耳に聞こゆ

  自販機に買ひ求めたるペットボトル海豹(あざらし)のごとく貌あげて飲む

『論語』陽貨三 孔子曰く、「唯だ上知と下愚とは移らず。」

だれでも習いによって善くも悪くもなるものだが、ただとびきりの賢い者とどん尻の愚か者とは変らない。

ふむふむとは、思うものの、ここにも差別感覚があるような、ないような。

  孔子が言ふただ上知の者と下知のものとはつひに変らろうとせず

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九七 オホハツセワカタケノ命

天皇が、吉野の宮に行幸した時、吉野川のほとりで、少女に会った。美しい少女であったので、この少女をつれて還幸になった。その後また吉野に行幸のみぎり、その少女に会った所にとどまって、椅子を据えさせてそれに倚って、琴を弾いて、その少女に舞を所望した。少女は、よく舞うた。そこで、
(あ)(ぐら)(ゐ)の 神の御手もち      呉床にわが居て琴ひけば
弾く琴に 舞する(おみな)        立ち舞うおとめよ 永久にあれ
常世にもがも           花のおとめよ 永久にあれ
と、歌をよんだ。

  大君の琴に合わせて舞ふをみなその舞こそは永久にありけれ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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