朝から雲はあるが、晴れてくる。
明烏けさも電柱の上にゐるこの地の王のごとくふるまふ
烏三羽が領したるこの一帯の上空に姿あらはすとんび数羽が
木の枝にすずめ来てゐる胸の毛の白く愛らしまたすずめ寄る
『論語』微子二 柳下恵(魯の賢大夫)、士師(罪人を扱う官)三たび黜けらる。人の曰く、「子未だ以て去るべからざるか。」曰く、「道を直くして人に事ふれば、焉くに往くとして三たび黜けられざらん。道を枉げて人に事ふれば、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。」
人に仕えようとしたら、どこへ行っても三度は退けられる。退けられまいとして
道をまげて人に仕えるくらいなら、なにも父母の国を去る必要もないでしょう。
仕へやうとして三度退けらるるとも道枉げず父母の国をも去らず
前川佐美雄『秀歌十二月』一月 高市黒人
吾が船は比良の湊に榜ぎ泊てむ沖へな放りさ夜ふけにけり (万葉集・二七四)
この歌は、前の歌とともに黒人のもっとも黒人らしい歌として、私は愛誦するのである。けれども世間の人気はこれらにあるのではなく、黒人のなかから人麿的なものを見いだしてそれをよしとしていたようである。だからこれらの歌よりは同じ羇旅の歌八首中でも、
桜田へ鶴鳴きわたる年魚市潟潮干にけらし鶴鳴きわたる (二七一)
何処にか吾は宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば (二七五)
これらの方が評判がよい。そうして私もそれに賛同していたのだが、しかし次第に見方が変わってきたところへ折口信夫の説に誘導された。(略)その歌の心は繊細である。しかしけっして弱いのではない。たよりないしらべのようにみえても案外にひきしまっていて、瀟洒な感じだ。適当な軽みもあって、どこか近代的なにおいがする。黒人の歌のよいところだが、当時でも人びとに愛誦せられていたらしく、
「比良」が「明石」に変えられて人麿歌集にはいっている。
吾が船は明石の湊に榜ぎ泊てむ沖へな放りさ夜ふけにけり (同巻七・一二二九)