今日も曇りつづき、明るいのだが……
あけぼの杉の小さき枝を髻華に挿しすこやかであれわれのむすめよ
薄ピンク色に透けて咲きたるつつじの花どこか女の姿態のやうな
あけぼの杉の枝挿頭しこの春の日を出でゆく王女
『論語』微子一〇 周公、魯公に謂ひて曰く、「君子は其の親(親族)を施てず、大臣(重臣)をして以ひざるを怨みしめず、故旧(昔なじみ)、大故なければ、則ち棄てず。備はるを一人に求むること無かれ。」
周公は子の伯禽に謂はんとす親族、重臣、昔なじみの使ひ方
前川佐美雄『秀歌十二月』二月 木下利玄
山畑の白梅の樹に花満てり夕べ夕べの靄多くなりて (同)
この「白梅」の歌は大正十四年作だけれど、病状悪化して二月十五日には数え年四十歳で死去しているから、たぶんこれは一月のうちに作った歌だろう。「白梅の樹に花満てり」というあたり、やはり利玄独特のもので、物の見方も表現の仕方もよくかんどころをおさえている。「夕べ夕べの靄多くなりて」は暖かい感じの語で、いわずして梅咲く暖かさを感じさせる。(略)利玄の歌はいずれも心暖かい。これも利玄の歌の大きな特色と思われるけれど、その長期にわたる病間にあって、なお病気の一つもないのはまこと不思議なくらいである。しかし利玄はそんな病気の歌を作るよりは、自然や風景の歌が作りたかった。極端にいえば、人間や人間世界よりも自然が好きな人だった。(略)この歌も病床にいて作った歌だが、死ぬ一か月前の作とはとても考えられない。肉体とは別に利玄は心の暖かい人だった。