今日も晴れ。
花房の短き藤の棚に近く見をれば虻蜂寄りてよろこぶ
藤の房あまり匂はず地に遠くぶら下がりをれど蜂の音わづか
遠くより藤の色見えよりゆかむうすむらさきの匂ふばかりに
四錠の薬飲み捨て春の町へ出てゆく老いによろこびあらむ
この道をよたよたとして歩みゆくわれにあらずや髭など生やし
ETCの利用はできぬ料金所渋滞の列しばしつづけり
『論語』子帳四 子夏曰く、「小道と雖ども必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥まんことを恐る、是を以て君子は為さざるなり。」
たとい一枝一藝の小さな道でもきっと見どころはある。ただ君子の道を遠くまで進むためにはひっかかりなる心配がある。だから君子はそれをしない。
君子とは近くの道にこだはらず遠くに進む必要がある
前川佐美雄『秀歌の十二月』二月 作者不詳
暁と夜烏鳴けどこの山上の木末の上はいまだ静けし (万葉集巻七・一二六三)
もう夜が明けたというので夜烏が鳴いているけれど、まだこの岡の木立の枝先あたりはひっそりとしている、というのである。(略)「木末の上」を木立の枝先だけでなく、言葉通りその上を考える。しんと静まりかえっている木立の枝々を透けて見えるうす黄色い暁空をもいっているのだと考える。(略)私はそうした受け取り方をして、この歌に格別の親近感を持つ。時空を越えた親近感だ。(略)現代のわれわれと同じ思想で、同じ感情や感覚をもって歌われていると思われる。
そういう感じのする歌なのだ。一口にいえば近代的だ。じつに洗練されている。
あしびきの山つばき咲く八峯越え鹿待つ君が斎ひ嬬かも (同・一二六二)
西の市にただ独り出でて眼並べず買ひてし絹の商じこりかも (同・一二六四)
斎藤茂吉は「女が男にむかって云った言葉として受納れる方がいいのではあるまいか」といっている。(略)表向きの言葉通りに解したらよい。しずかな夜明けの空気が身に染むようだ。清澄限りない。