今日はずうっと雨らしい。夜には止むか。
悪性リンパ腫三回目
悲しみはわれにもあらむ病みてなほ快癒せざりきと医師は言ふなる
老耄に病も加はり体調がわづかに良き日はそれまでのこと
七十歳を前に快癒のみこみなし後はただただ足を動かす
『論語』子張九 子張曰く、「君子に三変あり。これを望めば儼然たり、これに即けば温なり、其の言を聴けば厲し。」
君子には三種の変化がある。離れて見るとおごそかで、そばによるとおだやかで、そのことばを聞くときびしい。
君子には三種の変化があると言ふ儼然として温でありその言聴けば厲しかりけり
前川佐美雄『秀歌十二月』三月 中臣宅守
塵泥の数にもあらぬわれ故に思ひ侘ぶらむ妹が悲しさ (万葉集巻十五・三七二七)
塵泥の身、数ならぬ身などの言葉は今日のわれわれにも親しく感じられるが、それがここにある。「侘ぶらむ」は気力を失いうちしずんでいるだろうの意。自分のためにこのようなつらい思いをさせるのがすまない、という歎き歌だが、なにかよわよわしい感じがする。娘子の「焼き亡ぼさむ」の歌の情熱的なのにくらべて、これはひどくうちしおれていてあわれである。(略)しかし心身ともうちくじけてしまうと、こういう口つきにもなるのであろうかかえって同情したくもなる。感情が一時代前よりほそくこまかく、しなやかになっていて、万葉末期の特色が感じられる。なお宅守には次のような秀歌がある。
あかねさす昼は物思ひぬばたまの夜はすがらにねのみし泣かゆ (同・三七三二)
これに対して娘子は歌った。
吾が夫子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな (同・三七七四)
この「命残さむ」がたとえようもなくよい。そうして「忘れたまふな」である。やさしき心づかいのあたたかな言葉だ。「焼き亡ぼさむ」の歌とはまったく趣を異にするけれど、娘子の歌ではこれがもっともよいともいえる。