朝から曇り、夕刻雨になるらしい。
草野心平に「るるる葬送 Accompanied by Chopin,s Funeral march」という詩がある。
天に召されこの世には何も残さずに蛙のるるるおさらばるるる
蛙のるるるはもうゐない。いづこにも見ず天に召されし
るるるは死んでもうゐない。悔めども悩めどるるるはゐない
日本沙漠の砂をふみ砂漠のくらい闇をふむるるるの葬送にしづかにすすむ
かたむく天に鉤の月るるるは見えず天にまします
『論語』夏張一二 子游曰く、「子夏の門人小子、酒掃応対進退に当たりては則ち可なり。抑々末なり。これに本づくれば則ち無し。これを如何。」子夏これを聞きて
曰く、「噫、言游(子游)誤まてり。君子の道は孰れをか先にし伝え、孰れをか後にし倦まん。諸れを草木の区して以て別あるに譬ふ。君子の道は焉んぞ誣うべけんや。始め有り卒り有る者は、其れ唯聖人か。」
噫、子游よ過ちてをり門弟はそれぞれに育つそれぞれに伸ばす
前川佐美雄『秀歌十二月』三月 小野小町
あはれなり我が身のはてや浅緑つひには野べの霞とおもへば (新古今集)
歌の意味からすれば、初句「あはれなり」は結句の「霞とおもへば」のあとにつづくものだが、それをあえて初句に持って来て、しかも切っている。女としては大胆だとも思われるけれど、これがこの歌をしてひとしおあわれぶかいものにしている。「野べの霞」は、死後火葬に付されて、その煙が野べの霞となるのであろうと、自分の身の果てを思い悲しんでいるのである。しかし火葬の煙など考えずに、歌の表にあらわれた意味だけの「野べの霞」と解しても十分にわかる歌だ。(略)この歌は「哀傷歌」として新古今集に入集しているけれど、新古今はむろん、古今集時代よりも前代の歌人で、また古今集時代よりは下るけれど、これも同じく前代の歌人である和泉式部とともに新古今集では客員としての取りあつかいを受けている。(略)ただ絶世の美女であったことと、きわめて気位の高い女であったことだけは確かな様だ。生涯夫を持たなかったのは、遂げられぬ恋、仁明天皇をひそかに想いつづけていたためであるという人もあるほどだ。